サルミ・ワクデ島の戦いとは? わかりやすく解説

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サルミ・ワクデ島の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:15 UTC 版)

ニューギニアの戦い」の記事における「サルミ・ワクデ島の戦い」の解説

1944年6月中旬ニミッツ大将指揮アメリカ軍サイパン島への進攻予定されており、マッカーサー大将はこの作戦協力するために必要な飛行場確保することを目的として、ワクデ島とサルミの日本軍飛行場攻略することにした。しかし、精査してみるとサルミの飛行場良好でなく、ビアク島飛行場良好であることが判明しビアク島攻略することが決定した。この結果、サルミ進攻目的ワクデ島攻略対岸からの砲撃支援するためと、ワクデ島占領した後にサルミの日本軍から島を砲撃されることを防止するためとなった。サルミ・ワクデ島地区は1943年12月に第36師団到着し、これを基幹とする1万4,000名が守備していた。1944年5月17日、サルミ東方のマッフィン湾へ、アメリカ軍第6歩兵師団、第31歩兵師団(1個連隊欠)、第123連隊戦闘団、第158連隊戦闘団上陸、翌18日ワクデ島へ第163連隊戦闘団上陸した歩兵224連隊石塚中隊基幹とする800名のワクデ島守備隊26日までに玉砕した。サルミ地区のマッフィン湾岸のローントリーヒル(入江山)では日本軍アメリカ軍158連隊戦闘団激戦繰り広げアメリカ軍大きな出血強いたその後日本軍後退して持久体制入り連合軍側も積極的な攻勢行わずサルミ地区兵力の配備次第縮小する中で終戦迎えた日本軍当初1万4,000名のうち生還者はわずか2,000であった

※この「サルミ・ワクデ島の戦い」の解説は、「ニューギニアの戦い」の解説の一部です。
「サルミ・ワクデ島の戦い」を含む「ニューギニアの戦い」の記事については、「ニューギニアの戦い」の概要を参照ください。

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