共通項を探す
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 02:50 UTC 版)
まったく見知らぬ人間同士が、初対面の気づまりの乗り越えて、打ちとけてゆくプロセスでは、お互いの共通項をさがし出そうとする努力が見られる。 現代では、人間の人生経験は、ひどく多様である。家庭環境が違い、学校が違い、職業が違う。職業などは、かつて職業の分化が比較的単純な時代では、たいていの職業は常識的に理解できた。「大工です」と聞けば、家をつくる人だと見当がついた。しかし現代では、名刺の肩書きを読んでも、さてこの人は何をしているのか、その分野の人間でないとまったくわかりかねる職業が多数出現している。総理府の職業分類表にはすでに数千の職業がある。 このようにして人間は、互いの接点がどこにあるのかさっぱり見当がつかなくなり、戸惑う状況になった。そのどうしていいかわからない状態が、いわゆる「社交」術を発展させた。ひとつの古典とも見なされるデール・カーネギーの『人を動かす』には「相手の趣味や嗜好を知れ」という項がある。ひとと会うときには、あらかじめ相手が関心を持ちそうな話題をさがしておき、その話題をきっかけに人間関係をつくれ、というものである。カーネギーの本のあとを継ぐように、多くの社交術の本が、アメリカでもヨーロッパでも日本でも出版された。 現代の都市中産階級、サラリーマン社会などでは、「話題のゆたかさ」に、あこがれる人が多い。この「話題がゆたか」ということはどういうことかと言うと、それは、たいていのことを共通の話題にする能力をもっている、ということである。相手が釣りの趣味を持っていると判れば、釣りを共通項にする。サッカーなら、即サッカーで話をあわせられ、映画、絵画、演劇、、、と何でも合わせられること。それは家族が、血縁から社縁へと大きく転換したことを明確にしめしてくれている。「常識」に関する試験が行われることがあるが、今日、「常識」とは、他人との普遍的共通項ということなのかも知れず、常識が豊かということは、とりもなおさず、様々な種類の他人とわかちあうことのできる共通項を豊富に用意している人、誰とでもなめらかにつきあってゆける人物、ということになる。そして、ひとつのことに偏執的(モノマニアック)に集中して、ほかのことには興味を示さないような人は、現代では、一般に毛嫌いされるような傾向が現れるようになった。
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