八角堂内陣装飾画とは? わかりやすく解説

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八角堂内陣装飾画(板絵著色)

主名称: 八角堂内陣装飾画(板絵著色)
指定番号 1883
枝番 00
指定年月日 1988.06.06(昭和63.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書
員数
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  栄山寺藤原南家始祖である武智麻呂天武九年(六八〇)-天平九年(七三七))の創立伝え八角堂国宝昭和二七・三)は武智麻呂の子麻呂慶雲三年(七〇六)-天平宝字八年七六四))が先考先妣のために建立したのである。したがって八角堂造営は、武智麻呂の歿した天平年より後、仲麻呂が歿した天平宝字八年より前となるが、武智麻呂栄山寺北の山上に改葬され天平宝字四年(七六〇)より後とすれば、わずか四年の内限定して考えるこのもできる。また八角堂内陣装飾画の制作もこの時期置いていように思われる。もし正倉院文書(正集四五)の「造円堂所牒」(天平宝字七年十二月二十日付)が、栄山寺八角堂造営関係するものとすれば、仲麻呂第三朝狩あさかり】の命によって、造円堂所が造東大寺司借用申越し承認された画機【エノハタ】二具〈長一丈/広五尺〉も内陣装飾制作のためのものであった推考される。したがって装飾画の制作時期を、仲麻呂最晩年である天平宝字七年から八年の頃とするのも許されよう。
 内陣装飾画は、八角柱絵の奏楽舞踏菩薩形等、飛貫絵の飛天奏楽神仙人鳥迦陵頻伽かりようびんが】)、騎獅菩薩等、天井絵の宝相華文からなる。この構成西大寺薬師金堂天井ならびにに「音声人」「雑花形」などを彩絵したもの先駆をなすものであろう(「西大寺資財流記帳宝亀十一)。
 装飾画は柱絵、貫絵とそれぞれ描写筆致異にするが、なかでも柱絵菩薩形は天平盛期古典様式有し東大寺大仏蓮弁二月堂本尊光背線刻画、戒壇院厨子扉絵白描模写楽天などとも近親関係にあることを示し、絵の質の高さからみて、制作にはときの権力者であった麻呂働きかけによって造東大寺司関係の画工参加させられ彩管探ったことが考えられる
 内陣装飾画は全体剥落があるのは惜まれるが、後補の筆はなく、奈良時代における堂内装飾画の稀有遺例として、また制作時期がほぼ明らかな数少ない優れた絵画資料としてその価値きわめて高い。



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