入換および小列車用の機関車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 09:34 UTC 版)
「北海道炭礦汽船夕張鉄道線」の記事における「入換および小列車用の機関車」の解説
1形(1、2) 1925年にドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッペル社の250PSクラスを2両を輸入したもので、軸配置1C1、重量43.32t、全長9704mm、動輪径1100mm、固定軸距2400mm、シリンダ400mm×500mmと小型機の輸入が多いコッペル社製機関車としては貝島炭砿31、32(軸配置1C1、重量44.3t)のものに次ぐ大型機であった。なお、コッペル社の記録では北海道炭礦汽船の発注となっている。また、同型機5両がいずれも北海道の鉄道で使用されていた。 1は1927年、2は1930年に空気ブレーキ化改造を実施し、あわせて本線の列車に使用する場合を考慮した補助水槽車ミ1が1931年に用意された。 鹿ノ谷および若菜駅構内の入換や、夕張本町 - 若菜辺砿(のちの平和砿)間など夕張付近の近距離列車などに使用されたほか、角田炭鉱専用線などにも使用された。機関車の検修や故障時には北炭清水沢炭鉱専用線でも使用されたが、1965年に廃車となった(鹿ノ谷・清水沢間の回送は国鉄貨物列車の後部に連結して行われた。鉄道ピクトリアル誌には「後部補機?」と記載されており、国鉄線の補機仕業に実際、使用されたのかは確認できない。ちなみに1形の廃止後は11形が清水沢炭鉱専用線に応援に入ることもあった)。 6形 (6) 1905年にアメリカのボールドウィン・ロコモティブ・ワークス社で製造された鉄道作業局B6形1147→国鉄2500形2613を1927年に譲受したもので、軸配置C1、重量49.97t、全長18414mm、動輪径1250mm、固定軸距3810mm、シリンダ381mm×610mm。 1964年まで鹿ノ谷構内の入換に使用された。 7形 (7) 1900年にイギリスのダブス社で製造された鉄道作業局D9形629→6270形6279(2Bテンダ機)を1927年に浜松工場で1070形1113(2B1タンク機)に改造したものを1940年に譲受したもので、軸配置2B1、重量48.00t、全長11381mm、動輪径1520mm、固定軸距2541mm、シリンダ406mm×610mm 11形に代わって混合列車用に使用され、11形を輸送量が増加していた貨物列車に振り向けたが、入線後まもなくの1941年1月から1941年6月まで、それまで貸与されていた9と引き換えに定山渓鉄道に貸出された。 新夕張 - 野幌間の混合列車をミ1を補助水槽車として連結して牽引するなどして1960年まで使用された。 9形 (9) 1925年に汽車製造で製造された筑波鉄道5 - 9形1C1タンク機のうちの9を1929年に譲受したもので平和砿の開坑に対して準備されたもの。 同型機が北九州鉄道、宇部鉄道、能登鉄道、胆振縦貫鉄道、三岐鉄道に合わせて13両あった。軸配置1C1、重量44.82t、全長9928mm、動輪径1118mm、固定軸距2946mm、シリンダ381mm×559mmと1形と同等のサイズの機関車で1形と同じく夕張地区の入換や小列車に使用された。 1940年4月11日から約10か月間定山渓鉄道に貸出され、9形と引換えに戻った後、1942年には空気ブレーキ化改造を受けるなどして使用されたが、同年に同系の天塩鉄道が開業する際に譲渡されている。
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