先史時代から青銅器時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 05:04 UTC 版)
「中央アジアの美術」の記事における「先史時代から青銅器時代」の解説
ウズベキスタン・タジキスタンの国境付近には、紀元前7千年紀の洞窟壁画が見出されているが、この地域における先史時代の遺品で、美術作品と称しうるものは多くはない。紀元前6000年代頃、西アジア経由で農耕・牧畜が伝わるとともに、彩文土器を伴う文化が出現する。この時代の遺物である彩文土器、テラコッタ製の土偶、印章などにはメソポタミアやイランの影響がみられる。紀元前3000年代の後半から紀元前2000年代の前半にかけて中央アジアは青銅器時代に入った。 メトロポリタン美術館所蔵の『怪獣文斧』(画像参照)は、バクトリアの青銅器文化を代表する作品として知られている。これは儀式用の銀製の斧で、長さ15センチメートル。アフガニスタン北部の出土で、紀元前2000年から紀元前1800年頃の作と推定されている。本作は、その細密な造形から蝋型鋳造と思われ、表面には金箔を貼っている。この斧のほぼ中央に表されているのは、鷲の頭と人間の胴体をもった立像で、この鷲人間は左右の手で1頭ずつの動物を押さえつけている。鷲人間は斧の表裏両面に表されているため、頭が2つあるように見える(もともと双頭の像として表現したものだとする解釈もある)。2頭の動物のうち片方は猪で、その背中の部分が斧の刃になっている。もう1頭の動物は、ネコ科動物の胴体に猛禽類のような脚をもち、角と翼がある。こうした動物文は、前4000年紀のイランのスタンプ印章にも同様の意匠が見られる。
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