先史時代から古代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 05:26 UTC 版)
「リュブリャナ」の記事における「先史時代から古代まで」の解説
紀元前2000年頃にリュブリャナ近郊の湿地帯には人が高床式の住居に暮らしていた。今日でも考古学的遺物がイグに残されており、アルプスに連なる6か国にまたがる「アルプス周辺の先史時代の住居」の一部として2011年6月からユネスコの世界遺産に登録されている。 湿地帯に住んでいた人々は狩猟や漁労、原始的な農業を通して生活の糧を得ていた。湖沼の移動には木の幹をくり抜いて作ったカヌーを使用していた。後にこの地域は様々な部族や人々の多くの生活の跡が残され、その中にはケルト人やイリュリア人が混合したラピデスと呼ばれる人々や3世紀のケルト人の一部族タウリスキ族も含まれている。紀元前50年にローマ人が後のエモナ(Aemona/Emona)となる軍の野営地を設置する。 要塞は強化され、ローマ軍団の 第十五アポロン軍(Legio XV Apollinaris)が使用した。452年にアッティラの命令によりフン族により破壊され、その後東ゴート族やランゴバルド人によって破壊されている。エモナには5,000 - 6,000人の住民が居て、多くの戦いで重要な役割を果たした。住居はプラスターを塗った煉瓦の異なった色の家で既に下水設備につながれていた。6世紀になるとスロベニア人の祖先のスラヴ人が移動して来るようになり、9世紀にはスロベニア人はフランク王国の支配下に入りたびたびマジャル人の襲撃を経験する。
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