先住民の部族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 03:35 UTC 版)
カタウバ族、チェロキー族、チアハ族、チカソー族、コンガリー族、クリーク族、クサボ族、エノ族、ケヤウェー族、ナッチェス族、ピーディー族、サルダ族、サンテー族、セウェー族、シャコリ族、ショーニー族、シッシパホー族、サゲリー族、ワッカマウ族、ワテリー族、ワハウ族、ウィンヨー族、ヤマシー族、ユチ族など、かつて20を超えるインディアン部族が先住していた。 サウスカロライナ州では古くから、イギリス人奴隷商人によるインディアン奴隷の売買が重要な経済となっていた。イギリス人は銃や毛布と引き換えにインディアンから奴隷を買い入れ、テネシー州やミシシッピー河周辺の白人入植地に送り込んだ。1670年頃から始まったこのインディアン奴隷売買は、「ヤマシー戦争」が終わった1717年まで続いた。 1715年、白人入植政府に対し、ヤマシー族、クリーク族、チェロキー族、チカソー族、カタウバ族、アパラチー族、アパラチコラ族、ユチ族、サバンナ川ショーニー族、コンガリー族、ワハウ族、ピーディー族、ケープ・フィアー族、チェロー族ほか多数のインディアン部族連合が戦いを挑んだ。「ヤマシー戦争」と呼ばれるこの戦争は1717年まで続き、多くのインディアンが奴隷に売られ、部族人口を減らし、分散させられた。クリーク族は西方へ逃げ、上クリーク・バンドとなった。 さらに、19世紀に多くの部族が他州に強制移住させられるか「絶滅部族」扱いとなった。現在、同州でアメリカ連邦政府が公式認定し、自治権限の強い連邦の保留地(Reservation)を領有している部族はカタウバ族のみである。 カタウバ族は1962年にアメリカ連邦政府の公認を取り消され、保留地の保留を解消されて「絶滅部族」とされたが、その後の再認定要求係争によって1993年に再公認され、インディアン部族として「復活」した。 また、2005年から2007年にかけて、サウスカロライナ州政府によって「ピーディー族」や「ナッチェス族」などが部族認定された。同州は広く「インディアン部族」、「インディアンのバンド(集団)」、「インディアンの相互営利団体」の三つを承認対象としている。多くの部族が引き続き、強い自治権を保証される連邦からの公式認定を要求中である。 ジョージア州との州境にある東チェロキー族の居住地域には、原子力産業から排出される低レベル放射性廃棄物の最終処分場「サバンナ川サイト」があり、現在、周辺チェロキー族への深刻な健康被害が懸念されている。 ≪アメリカ連邦政府が公式認定している部族≫ 「カタウバ族」 ≪アメリカ連邦政府は公認していないが、サウスカロライナ州政府が公認した部族・団体≫ 「ピーディー族」「ピーディー族・サウスカロライナ」 「ピーディー族・ビーバー・クリーク・バンド」 「ピーディー族・上部サウスカロライナ」 「サンテー族」 ※サンテ・スー族(ダコタ族)とは関係ない。 「ワッカマウ族」 「バーナータウン・ワッカマウ族」 「チャロクロワ・チカソー族」 「チェロキー族」「東チェロキー族」 「下東チェロキー族」 「サウスカロライナ・チェロキー族」 「ナッチェス族」 「ワッサマッソー族(バーネルタウン・インディアン)」 「サウスカロライナ・アメリカインディアン商工会議所」 「エジスト族インディアン機構」(クッソー・ナッチェス族) 「ピエモンテ・アメリカインディアン協会サウスカロライナ」 ≪アメリカ連邦政府もサウスカロライナ州政府も公認していない部族・団体≫ 「アメリカインディアンセンター・サウスカロライナ」 「カロライナ・インディアン生得権協会」 「サマーヴィル・インディアン」 「チコラ・シャコリ族」 「チコラ・ワッカマウ族」 「クロアタン族」 「チェロキー族」「ブロード川バンド」 「チカマウガ・チェロキー族」 「熊の氏族」 「自由チェロキー・チカマウガ」 「ウェストバージニア・チェロキー連合」 「エジスト族(ナッチェス族・クッソー族)」「四つの穴のインディアン機構」 「松の丘のインディアン共同体」 「馬の渓流のインディアン生得権協会」 「小さな馬の渓流のアメリカインディアン文化センター」 「小さな馬の渓流のアメリカインディアン協会」 「中部地方の部族相互権利拡大グループ」 「チェロー族・サムター・バンド」 「ワッカマウ・スー・インディアン協会」
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