アブバカリ2世伝説のイスラーム的変種
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「アブバカリ2世」の記事における「アブバカリ2世伝説のイスラーム的変種」の解説
1990年半ば以後になると、アブバカリの発見者としての業績の評価に重きを置く言説が見られるようになった。かつてのアフロセントリズムのイデオローグたちは、黒人アフリカから来た航海者らが古代アメリカの先住民文化に及ぼした影響を力説したものだが、今日のアメリカ人ムスリムの中には、ムスリムによって実行された探検における最初期のものであるという探検の性格を重視する。これらの言説は、アメリカ大陸がマンデ人により発見され、また文明化されたことを認める点で確かに過去の言説と共通するが、むしろ、先住民がはじめてイスラームに改宗したことを強調する。たとえば、レバノン出身でカナダで物理学者として働き、ムスリムのために働く活動家でもあるユーセフ・ムルーエ(Youssef Mroueh)などが、このようなことを述べている。自分自身の主張のみが書いてある彼の著書によると、コロンブスがキューバに到着した1492年には既にモスクがあったという。ムルーエの主張は、完全に中身がない。 ムルーエのような著述家らによる、スペイン人の到来以前のアメリカ大陸にはイスラームが広く信仰されていたという説は、以下に挙げるような証拠に基づくものである。多くの先住民の部族(たとえばチェロキーやブラックフット)がムーア人の民族衣装を身に着けている。先住民の中にはアラブ人風の名前を持っている者がいたり、彼らが土地につけた名称の中には明らかにイスラーム的な地名がある(たとえばフロリダ州のタッラハッスィー Tallahassee は「神はいつか汝を救い給う」と解釈できる)。クーフィー体で刻まれたアラビア文字が数多く残されていたり、マドラサのネットワークさえも運用されていたりしたが(たとえばアリゾナとニューメキシコに存在した)、のちに、おそらくはヨーロッパ人により、破壊されてしまった。特に、19世紀まではムスリムであったと言われているチェロキー族は、独自のイマームを持ち、ハッジの様式で定期的に巡礼を行っていた。部分的にはアメリカにおける「イスラームの遺産」が話題になっているが、贅言を弄するばかりで何を言わんとしているのかが明瞭でない。 先コロンブス時代にアメリカ先住民のイスラーム化が起きていたという説は、「ネイティヴ・アメリカン」の諸団体における反対がいや増すばかりであったが、ムスリムたちの内輪では好意的に受け容れられ、ウェブフォーラムで好意的に議論されている。 「イスラーム伝道世界連盟(ミナレット)」は、ムルーエの仮説の検討を行い、アメリカ大陸が元々はイスラーム化されていたと結論付け、そのため、ムスリムは各自、異教徒を改宗させる努力(ダアワ)を通してイスラームの復興に務めなければならないとした。2014年11月にトルコの首相、レジェップ・タイイップ・エルドアンは、テレビ番組の中でこの仮説を信じていることを認め、コロンブスにより言及された場所にモスクを建設することに同意した。
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