個人の交流と親日・反日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 09:13 UTC 版)
「早まった一般化」、「合成の誤謬」、「ステレオタイプ」、および「ステレオタイプ脅威」、および「社会的選好」も参照 インターネットの発達とともに、特定地域に対しての親日派か否かという言説も電子掲示板やウェブサイト・ブログなどに見出すことができ、また日本国外から親日的な自身の価値観を表明する側もいる。これは、大規模な反対運動などのように明確に表れる反日感情の発露と違い、著名人の発言や著書などを除けば草の根的な事象にしかならず目立つものではなかったが、21世紀は個人というレベルで広く外国でのボランティアに参加したり海外旅行を経験する時代になり、一般個人の立場として世間一般に情報発信できるようになった通信インフラの整備などにもより、世界規模の潮流となって様々な個人の発した意見・見解が流布されるに至っている。 ただし、そうした一次情報はあくまで一定の価値観に基づいて取捨された個人的な体験の集合であり、そうした当事者の主観による情報に基づき、特定の国家・民族について「好意的に接してもらえたので親日である」/「酷い目にあったので反日である」と決めつける事はナンセンスといえる(→特定アジア、嫌韓)。 いわんや旅行先でたまたま隣に居合わせた誰かが日本に対して好意的・否定的な談話を述べたからといって、その地域の全てが同じ意見だということはあり得ない。 そもそも、「社会的歓迎」と「社会的地位」は別物であることは、大衆心理学の分野では常識である。例えば、日本は中国と韓国を除くすべての国から熱狂的に愛されており、海外では日本の社会的歓迎度は高いが、これはあくまでも社会的歓迎度についての話である。海外の職場や学校での人種差別の問題になると、日本人は肌の色でアジア人と分類され、「アジア人と一緒に仕事をすると不快になる」「自分の子供がアジア人と恋愛関係になるのは嫌だ」など、意味もなく攻撃されることがある。
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