作曲と台本の改編
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「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の記事における「作曲と台本の改編」の解説
『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の音楽として確認できる最も早いものでは、第3幕「目覚めよ!」のコラールの旋律メモがあり、料理店「タヴェルヌ・アングレーズ」の名の入った紙に記されていることから、パリ滞在中(1861年12月 - 1862年1月末)のものと考えられる。 ワーグナーは1862年2月にライン川河畔のヴィースバーデン=ビープリヒを仕事場とし、3月末から本格的に作曲に取りかかった。この地では、もうひとりのマティルデ(・マイアー)をエファに見立てて口説いたこともあった。 同年5月には第3幕前奏曲のスケッチが書かれたが、この時点で第1幕第2場のスケッチは終わっておらず、ドラマの流れに沿って通作していくスタイルは採られていない。加えて、作曲の過程において、台本テクストは徹底的に改変された。 ワーグナーは印刷台本初版(F)を作業用の底本とし、それに追加や訂正を書き込んでいった。これが「初版書き込み本」(G)である。ただし、底本に当たらずに記憶を頼りに作曲することも多く、すべての変更が初版書き込み本に記録されたわけではなかった。このため、スコアのテクストは初版書き込み本を大きく超えるものとなった。スコアの行数にすると、全3,098行のうち1,100行以上の台詞に手が加えられ、ト書きも全面的に加筆・修正・削除された。 音楽に合わせてテクストを差し替えた例としては、第3幕のヴァルターの「栄冠の歌」(懸賞歌)がある。韻文台本の段階では、ヴァルターはザックスの仕事場(第2場・第4場)で「夢解きの歌」を完成させ、祝祭の広場(第5場)でも同じ歌を歌うことになっていた。1862年3月のスケッチはこの設定に拠っている。しかし、1866年9月にワーグナーは新しい旋律を着想し、これに伴い12月24日にテクストを全面的に書き換えた。この時点では、新しい歌を両方の場面で歌わせるつもりでいたが、翌1867年1月には、二つの歌を共通した素材を用いながらも別々のものとした。同時に、ベックメッサーの本選歌のテクストも書き改めている。
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