作曲と出版の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 15:21 UTC 版)
「ピアノソナタ第1番 (ショパン)」の記事における「作曲と出版の経緯」の解説
この作品は、ショパンがソナタ形式の学習のため、師のヨゼフ・エルスナーの指導の元に書いたものであるが、ショパンは出版の意欲を示しており、曲をエルスナーに献呈している。 曲は完成後、作品3として出版の準備がされたが、まだショパンの知名度が低かったこともあり、交渉先であったウィーンの出版業者ハスリンガーは乗り気でなく、出版されなかった。このため「チェロとピアノのための序奏と華麗なるポロネーズ」が1833年に作品3として出版され、このソナタは作品4に回されることになった。ずっと後年にハスリンガーは出版の意向を示し、ショパンに校正の依頼を申し出たが、今度はショパンが返事しなかった。ショパンは、ハスリンガーから無下な扱いを受けたことを忘れておらず、1841年9月12日付のユリアン・フォンタナ宛の手紙で『ハスリンガーは愚かな奴だ。彼が今印刷したがっている、いや、もう印刷して出版したいと言ってきているのは、12年前ウィーンで彼にただでやったものだ。どうすればそんな奴が好きになれると思う?返事は書かないよ。もし書くとしたら君にも読んでもらえるよう封をせず君に送るが、強気に出るつもりでいる』と述べている。結局正規に出版されたのは、ショパン死後の1851年であった。今日では滅多に演奏されることがなく、ソナタ全集にも組み入れられないのが一般的だが、ショパン全集の音源を誇るウラディーミル・アシュケナージなどが録音を残している。 この作品自体は習作とみなされ、冗長で、主題対比や展開が弱いと批判されることが多い。だが、作曲家の小林秀雄は、ピアノ協奏曲第2番の自編版(全音楽譜出版社刊 ISBN 4111101127)の解説の中で、この曲の特徴はベートーヴェンらのようなドイツ古典派のソナタとは違ったショパン独自の展開手法にある、と従来の批判に対して反駁しており、作風の変遷を知る上で重要な曲だと指摘している。
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