作戦第一段階
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 23:32 UTC 版)
赤軍は、作戦開始日を3年前のバルバロッサ作戦開始日と同じ6月22日に設定し、南から第1ベロルシア、第2ベロルシア、第3ベロルシア、第1バルト、第2バルトの各方面軍(合計189個師団、兵力242万人)を1000キロにわたる前線に配置した。このうちドイツ軍中央軍集団の正面に展開したのは総兵力82万人、戦車5200両、大砲31,000門、航空機6,000機という空前の規模で、22日未明、猛烈な砲撃ののち、一斉に三方向から中央軍集団への攻撃を開始する。ドイツ軍が予測した、南部から左回りに旋回する攻勢ではなく、中央部を平押しするという作戦だった。ドイツ軍の6倍という圧倒的な航空支援と、濃密な重砲・カチューシャロケット砲の援護を受け、突破区域に戦車と歩兵を集中させて急進する赤軍に、戦力の劣るドイツ軍は各所で分断・包囲され、統一した作戦のもとで連携して反撃することは困難だった。特に圧倒的に優勢になったソ連空軍の攻撃力は絶大で、ソ連地上軍の前進にとって最大の障害となるドイツ軍の砲兵陣地を徹底的に破壊するとともに、移動中のドイツ地上部隊を空襲して大きな損害を与えた。 赤軍の作戦全般を統括していたのは、スターリングラード攻防戦やクルスクの戦いと同じく、今回の大攻勢も最高指揮官代理ゲオルギー・ジューコフ元帥と参謀総長アレクサンドル・ヴァシレフスキー元帥だったが、実戦経験の積み重ねとともに師団長クラスも状況に応じて臨機に行動することが許されるほど能力が向上しており、戦車の運用、砲兵・工兵など支援部隊との連携、空軍との協調も緻密になっていた。また、T-34-85中戦車やIS-2重戦車などの新兵器も大量投入されている。 これに対してドイツ中央軍集団司令部は、当初は予測されていたガリツィアからの攻勢に対する陽動作戦と判断し、さらにヒトラーの死守命令に沿うかたちで、拠点を維持して赤軍を引き付ける方針をとっていたが、これが完全に裏目に出た。包囲された各部隊は猛砲撃と航空攻撃を受け、急速に潰滅していった。ようやく赤軍の主攻勢が正面に展開しているドイツ軍拠点の包囲殲滅に向けられていると気づいた中央軍集団司令官エルンスト・ブッシュ元帥は、27日にヒトラーに繰り返し撤退を要請するが、拒絶された。ヒトラーは翌日、ブッシュを更迭して、北ウクライナ軍集団司令官だったヴァルター・モーデル元帥を後任に起用した。7月1日には、前日に撤退の進言をヒトラーに却下されて敬礼なしで退室した陸軍参謀本部総長クルト・ツァイツラー上級大将が病気休暇を要請し、ヒトラーはこれを受け入れ、7月21日に装甲兵総監ハインツ・グデーリアン上級大将を後任に起用した。
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