伝説時代、古代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 伝説時代、古代の意味・解説 

伝説時代、古代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:44 UTC 版)

福岡市」の記事における「伝説時代、古代」の解説

神功皇后三韓征伐伝説がこの地には多く残る。東区香椎香椎宮は、神功皇后が夫である仲哀天皇神霊祀ったところである。奴国後身として大和時代には「那の県」「儺県」と呼ばれており、日本書紀などにも記述がある。 527年筑紫の君磐井の乱の後、朝廷那津官家を造らせたと日本書紀にある。(「那津の口(博多大津)に建てよ」とある) 607年小野妹子第2回遣隋使として那の津より渡る。630年には遣唐使渡っている。 663年百済再興目論んで派遣した倭国援軍が、白村江の戦いにて唐、新羅軍に大敗北を喫する。唐、新羅連合軍報復備えた大和朝廷は、その守りとして博多湾岸に防人配し水城大野城などの城砦を築く。これより後、全国から徴発され若者防人として北部九州配備され故郷遠く離れて軍務に就く辛さ哀しみを詠い、万葉集残されている。 757年櫛田神社開かれる7世紀から11世紀にかけては、国際交流盛んになり、665年には筑紫館(つくしのむろつみ、つくしのたち)が建設され、これが後に大宰府迎賓館となる鴻臚館こうろかんとなった外国からの使節接待遣唐使などの送別といった迎賓館としての機能加えて貿易事務所検疫所的な役割果たしていたらしい鴻臚館遺跡1988年当時平和台野球場外野席土盛りの下から発見され市民驚かせた。奈良時代目の前海岸であり、使節の船は沖がかりして小舟上陸した。 なお、遣唐使廃止建白行った菅原道真901年大宰府左遷されたとき、博多上陸し四十川(よんじっかわ)の清流水鏡として自らの姿を見、そのやつれようを嘆いたという。その地に建立されたのが水鏡天満宮すいきょうてんまんぐう)(水鏡天神)であり、福岡市都心天神地名は、この事に由来する806年東長寺開かれる919年箱崎放生会始まる。923年筥崎宮開かれる

※この「伝説時代、古代」の解説は、「福岡市」の解説の一部です。
「伝説時代、古代」を含む「福岡市」の記事については、「福岡市」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「伝説時代、古代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「伝説時代、古代」の関連用語

1
0% |||||

伝説時代、古代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



伝説時代、古代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの福岡市 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS