伊藤忠入社、その後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 09:45 UTC 版)
1972年、「理系出身ながらモノより人に興味」があり、商社を選んで、伊藤忠商事入社。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}電子機器部電子機器第二課を振りだしにエレクトロニクス、情報産業、IT、インターネット事業創生記に活躍。1976年から1980年まで香港支店勤務のあと、1982年には伊藤忠エレクトロニクス(株)に出向。1986年から1994年までロサンゼルスに駐在。帰国後は情報産業・メカトロシステム部でコンピュータ・情報機器の販売に従事、1999年から2002年にかけて情報部門長を務めた[要出典]。 明確な指示、強力なリーダーシップで部門内をまとめ、インターネットの普及にともない世の中でeビジネスへの関心が高まるや、全社横断的組織「ネットの森」の“番人”として、各カンパニーにおけるネットビジネスのスピーディーな立ち上げを支援する陣頭指揮に自らあたった[要出典]。 1999年、子会社・伊藤忠テクノサイエンス(CTC)(現在の伊藤忠テクノソリューションズ(株))の上場で中心的な役割を果たした。折しも不良資産の一括償却などで約4000億円の特別損失を計上し、伊藤忠商事が財政面でどん底だった時期に、CTCは2000年3月期だけでも連結で1606億円の株式売却益をグループにもたらした[要出典]。 2000年執行役員、2002年常務執行役員に就任。2002年には経営企画・財務・経理・審査担当役員補佐(経営経理担当)(兼)チーフ インフォメーション オフィサー(兼) SI・リテール室長(兼)ネットの森番人。2003年には経営企画・事業・総務・法務担当役員(兼) チーフ インフォメーション オフィサーとして全社の経営企画に携わってきた。同年6月、常務取締役。2004年4月から専務取締役を務め、同年6月、取締役社長に就任。2010年4月、会長に就任[要出典]。 2022年、旭日重光章受章。
※この「伊藤忠入社、その後」の解説は、「小林栄三」の解説の一部です。
「伊藤忠入社、その後」を含む「小林栄三」の記事については、「小林栄三」の概要を参照ください。
- 伊藤忠入社、その後のページへのリンク