伊藤律本人の反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 10:02 UTC 版)
「伊藤律会見報道事件」の記事における「伊藤律本人の反応」の解説
当時潜伏中だった伊藤本人は晩年の書簡で、記事の掲載当時は東京におり「なかなか迫真的なこの大記事を夕刊で見て思わず吹き出した」と記している。また別の書簡では、記事掲載直後の共産党政治局会議の前に、何らかの情報漏洩を心配した志田重男が「君、これについて何か気づくことがあるかい?あれがにおったのかな?」と聞いてきたのに対し「さあ、全くの作文じゃないかね」と返答したと回想している。伊藤によるとこの記事を書いた人物(伊藤は「記者ではなく通信員」と記している)は、伊藤の第一高等学校における同級生の中学での後輩に当たり、伊藤が1948年にこの同級生の追悼会(共産党主催)で地元に行って講演した際にそれを見て、伊藤の人相や仕草などを知っていたという。
※この「伊藤律本人の反応」の解説は、「伊藤律会見報道事件」の解説の一部です。
「伊藤律本人の反応」を含む「伊藤律会見報道事件」の記事については、「伊藤律会見報道事件」の概要を参照ください。
- 伊藤律本人の反応のページへのリンク