企業文化とコミュニティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 02:59 UTC 版)
ジョブズはAppleの会社組織が自分が辞めることになった原因だと感じていたため、官僚的内部抗争のない企業にしようと考えていた[要出典]。ジョブズはNeXTの企業文化をAppleとは異なったものにするべく、設備や給料や福利厚生など様々な面で違ったやり方を採用した。ジョブズはAppleでも企業構造の改革を何度か行っているが、NeXTでは一般的な企業の組織構造は採用せず、従業員ではなく「メンバー」による「コミュニティ」を作るようにした。 給料 NeXTでは1990年代初めまで2段階の給料しかなかった。1986年以前から参加していたメンバーには7万5000ドル、それ以後に参加したメンバーには5万ドルが支払われていた。このため、管理職が部下より給料が低いこともあるという、やりにくい状況が生まれた。その後、6カ月ごとに従業員のパフォーマンスレビューを行って昇給を行うようになった。オープン性を確保するため、全ての従業員が給与支払い名簿に無制限にアクセスできるようになっていた(実際にはほとんどこの権利を行使した例はない)。NeXTの医療保険は、結婚している夫婦だけでなく、未婚のカップルや同性愛のカップルにも権利を与えていた(後に廃止された)。給料日も当時のシリコンバレーの他の企業とは異なっていた。一般に月に2回、その期間の最終日に給料日が設定されていたが、NeXTでは月に1回、期間の最初に給料日が設定されていた。 オフィス ジョブズはパロアルトのDeer Creek Road沿いにオフィス用の建物を見つけた。これは建築家イオ・ミン・ペイが設計した階段が印象的な建物である。堅木床の1階には大きな作業台を置き、ワークステーションの組み立て作業場として使った。在庫管理の誤りを避けるため、NeXTではジャストインタイム生産システムを採用した。メイン基板やケースなど主要なコンポーネントは全て外注し、1階でそれらを使って出荷品を組み立てていた。2階はオフィスで、壁のないオープンフロア方式になっていた。壁で仕切られていたのは、ジョブズの部屋と一部の会議室だけだった。 NeXTの成長と共にオフィス空間がさらに必要になった。そこでレッドウッドシティに新たなオフィスを借りた。こちらもペイの設計である。建築上の中心は、一見して何も支えがないように見える階段である。やはりオープンフロア式だが、備品も豪華で、5000ドルの椅子や1万ドルのソファ、アンセル・アダムズの写真パネルなどがあった。 その他 NeXTWORLD誌は1991年に創刊された。サンフランシスコのIntegrated Mediaによる出版で、Michael Miley、後にはDan Rubyが編集者として関わった。NeXTのコンピュータ、OS、ソフトウェアを扱う唯一の定期刊行物だった。ただし、1994年に廃刊となった。開発者向けカンファレンスとして NeXTWORLD Expo を1991年と1992年にはサンフランシスコのCivic Centerで、1993年には同じくサンフランシスコのMoscone Centerで開催した。いずれも基調講演はジョブズが行った。
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