企業の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 06:51 UTC 版)
現在の会社は、1942年(昭和17年)4月10日に「広島瓦斯電軌株式会社」(現在の広島ガス)から運輸事業を分離して設立された。前身の会社を含めると、「広島電気軌道株式会社」として1910年(明治43年)6月18日に設立された。 広島電気軌道株式会社として創立した当初は、大林組傘下の企業で、同様の経緯によって作られた会社に広島ガスがある。また、その2社は「広島瓦斯電軌株式会社」として1つの会社だった時期もある。大林組社主の大林芳五郎が北浜銀行の破綻と、その資金支援のため広島瓦斯株式を1913年(大正2年)から1914年(大正3年)に放出。広島電気軌道も1916年(大正6年)、大林芳五郎の没後、後継者の大林義雄が株を継承したものの社長は空位で、その後、大林組傘下を離脱。両社とも、鈴木商店の支援を得て、実業家の藤田謙一に株式が売却されて、同時期に、同一人物が社長だったこと、需要のピークがガスと路面電車で異なることにより、広島瓦斯と合併した。 広島電気軌道 広島瓦斯電軌 広島電鉄 本社所在地は開業時および広島電鉄設立より当地に置かれているが、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)の広島市への原子爆弾投下から翌年の8月30日まで現在の広島市佐伯区楽々園に本社が置かれていた。また広島瓦斯電軌時代は、現在の広島市中区大手町に本社を置いていた時期もある。 広島ガス統合時代に設立された財団法人広島瓦斯電軌学園は、太平洋戦争後は学校法人鈴峯学園(鈴峯女子短期大学、鈴峯女子中学校・高等学校〈現・広島修道大学ひろしま協創中学校・高等学校〉を設置)に改組・改称し、2012年3月31日時点では学園の理事・監事9人のうち、5人が広電および広島ガス関係者が占めていたが、2015年4月に学校法人修道学園に吸収合併された。他に広島ガス統合時代の名残りとして、現在も広島電鉄の健康保険組合は「広島ガス電鉄健康保険組合」として、広島ガスと共同で運営している。 1955年末から1967年まで、プロ野球球団の広島カープ(現・広島東洋カープ)に共同出資企業の一つとして関与し、当時の広電の社長が球団社長を兼務したこともあった。 1998年時点では電車事業で約6億円の黒字があったものの、バス事業でそれ以上の赤字が出ていたため、相殺されて会社全体での黒字はほぼ不動産事業によるもののみとなっていた。これを改革するため、バス事業の改革を念頭に1998年12月より社内カンパニー制が施行された。鉄道・軌道事業は電車カンパニー、バス事業はバスカンパニー、不動産事業は不動産カンパニーが、総務や経理などをM・Sカンパニーがそれぞれ担当、2012年4月には呉市営バスの路線を継承したがこれを担当するカンパニーとして呉バスカンパニーが設置された。社内カンパニー制は2014年1月の機構改正で廃止されて本部制に移行し、鉄道・軌道事業は電車事業本部、バス事業はバス事業本部、不動産事業は不動産事業本部が担当している。
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