他の初期のコンピュータとの比較
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 04:44 UTC 版)
「ENIAC」の記事における「他の初期のコンピュータとの比較」の解説
詳細は「計算機の歴史」を参照 機械式および電気式の計算機械は19世紀から登場しているが、ここでは現代的な(計算理論の用語で「万能」(universal)である)電子式コンピュータが誕生する前夜と言える、1930年代から1940年代の計算機械から話を始めることとする。 1939年から1940年にかけて、ベル研究所ではジョージ・スティビッツがリレー計算機 Complex Number Calculator を開発し、1940年にはダートマス大学とベル研究所を電話回線で結び、遠隔からその計算機を操作してみせた。 ドイツではコンラート・ツーゼがZ3を設計(1941年5月には稼働)。これが世界初のプログラム可能な計算機で二進数を使っていたが、リレーによる電気機械式である。さん孔テープでプログラムを供給するものでプログラム内蔵方式ではなく、条件分岐命令が無いため現代的なプログラミングが普通にできるわけではない。すなわち、チューリング完全を意図して設計されてはいない。後になって1998年に、チューリング完全である、とする報告が書かれているが、数値演算のトリッキーな組み合わせによって「条件付きの計算」に相当するような結果が得られる、とするハック的なものであり、近年の「x86はmov命令だけでチューリング完全である」といったような主張と同様な、実用的ではないものである。1943年12月、ベルリン空襲により現物は失われた。 アメリカでは初の完全な電子計算機械としてアタナソフ&ベリー・コンピュータ (ABC) が開発された(1941年夏に稼働)。真空管による二進演算回路を実装しているが汎用性はなく、連立一次方程式を解くことに特化している。また、記憶装置が機械的に回転するため、性能がその回転速度に制限されていた。また入力がパンチカードだったため、それによっても性能が制限されていた。制御は手動であり、プログラム能力はない。 イギリスではトミー・フラワーズがColossusを設計し、1943年から暗号解読に使われた。Colossusはデジタル式・電子式でENIACのようにスイッチと配線でプログラムを設定するが、暗号解読専用であり汎用性はない。 ハワード・エイケンの Harvard Mark I(1944年)はリレーを使った電気機械式の計算機で、さん孔テープでプログラムを供給する。様々な計算が可能だが、分岐命令がない。 ENIACは任意の演算を実行可能という点では Z3 や Mark I と同等だが、さん孔テープからプログラムを読み込むという点は欠けている。Colossus とはプログラムの設定方法が共通である。ENIACの利点は、チューリング完全性と電子的処理速度にある。ABCとENIACとColossusはいずれも真空管で演算回路を構成している。また、Z3やABCは二進法を採用していたが、ENIACは十進法だった。 1948年まで、ENIACでのプログラミングはColossusのように配線変更で行われていた。プログラムとデータを共通の記憶装置に格納するというプログラム内蔵方式はENIAC開発中に考案されたが、戦時中だったため完成が優先され、当初のENIACにそれが実装されることはなかった。また、ENIACには電子的な記憶装置が20カ所しかなく、データやプログラムの格納には小さすぎた。
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