人道面の取り組み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 15:32 UTC 版)
「第二次世界大戦下のスウェーデン」の記事における「人道面の取り組み」の解説
戦前、何千人ものヨーロッパのユダヤ人がスウェーデンに一時的な避難を求めたが、拒否された。 スウェーデンは、ドイツ人がその他の国に自由に往来する事を可能とし、ナチスの戦争遂行に不可欠な鉄鉱石を販売していた。戦局が連合国側に有利に傾くと、スウェーデンはそれまでスウェーデンへの避難を拒否されていた不安定な立場のヨーロッパのユダヤ人を援助する戦略に変えた。スウェーデンがはじめてユダヤ人に対する姿勢が変えたのは、1942年のことである。ドイツ軍がノルウェーのユダヤ人に対する迫害作戦を開始した時、スウェーデン政府は900人のユダヤ人難民を受け入れた。 1943年、スウェーデンは、戦争からの避難を求めていたデンマークのキリスト教徒9,000人と共に、デンマークに8,000人いたユダヤ人(英語版)のほぼ全員を受け入れた。1943年夏、デンマーク政府の解散に伴い、ドイツ当局はデンマークのユダヤ人(英語版)を強制収容所に送る事を決定した。しかし、デンマーク人は450人を除いたデンマークのユダヤ人を、フェリーで送り出し、ドイツのSボートが巡回していたコペンハーゲンとスウェーデン本土の間の海峡を経て、前例のない救出活動に成功した。スウェーデンに入ったデンマークのユダヤ人たちは亡命を認められ、スウェーデン人家庭に引き取られた。戦後も多くのユダヤ人がスウェーデンに残留した。また、スウェーデンはフィンランドやノルウェーからも難民を受け入れ、その中にはノルウェーのユダヤ人(英語版)も含まれていた。これらの事は、スウェーデン国内のユダヤ人(英語版)の保護と同様、スウェーデンの中立政策によって可能になった事だった。 スウェーデンの日刊紙スヴェンスカ・ダーグブラーデットは、どの他国よりもスウェーデンはユダヤ人を援助し、救出したと述べている。 また、スウェーデンの中立政策によって、ドイツに物理的にアクセスすることを可能となり、それはスウェーデンの情報機関だけでなく、連合国側の情報機関にとっても有益であった。アセア、LMエリクソン、スウェディッシュ・マッチ(英語版)の従業員はポーランドのレジスタンスのために運び屋として活動した。 スウェーデンのグスタフ5世国王は、ドイツの指導者たちとの外交関係を利用して、ユダヤ人をより人道的に扱うように説得を試みたが、ほとんど効果がなかった事が、彼の手紙からもうかがえる。スウェーデン王室の縁戚であるフォルケ・ベルナドット伯爵は、他の外交官と同様にドイツ政府と連絡を取り、情報をスウェーデンに伝えていた。また、彼は15,000人の囚人を強制収容所から救うことにも貢献し、ヴァルデマール・ラングレ(英語版)や有名な外交官ラウル・ワレンバーグと同様に、10万人ものハンガリーのユダヤ人を救ったと言われている[要出典]。 多くのスウェーデンの貴族(英語版)たちは、その人脈や富を用いて、デンマークやフィンランドを中心とした近隣諸国の子供たちを受け入れ、スウェーデンにおける一時的な住居を探していた[要出典]。ナチス・ドイツ政権下でストックホルム駐在のドイツ公使館一等書記官を務めていたヴェルナー・ダンクヴォート(英語版)は、ユダヤ人の子供たちが木箱に入ってドイツからスウェーデンに脱出する事を密かに手助けした[要出典]。
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