人違いからの入門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:20 UTC 版)
1920年4月3日に、北海道厚田郡厚田村(現:石狩市)で裕福だった網元の家に三男として生まれる。幼少期から身体が大きく、網元を営んでいたことから家族全員が怪力だったが、潤之輔少年は特に体格も大きく、力も強かった。やがて不漁が3年続いた末に家業が倒産してしまったことで、高等小学校卒業後は北海道製糖へ就職したが、学歴が無いことで技術を習得しようと一念発起し、単身で上京した。夜行列車で上野駅へ到着すると二人の若い力士が迎えに来ており、なぜか高島部屋へ連れて行かれた。部屋に到着してから人違いだったことが判明したことで力士から謝罪を受けたが、高島の妻から熱心に説得され、そのまま入門した。四股名は就職予定だった北海道製糖に因み、「北糖山」とした。 人違いから入門した異色の経緯でありながら、順調に出世していく。しかし、1938年に盲腸炎(虫垂炎の説もある)を患ったことで生命の危機に晒されたが、当時の名医・吉葉庄作による大手術で全快したことで、恩に報いるべく四股名を「吉葉山」に改名した。
※この「人違いからの入門」の解説は、「吉葉山潤之輔」の解説の一部です。
「人違いからの入門」を含む「吉葉山潤之輔」の記事については、「吉葉山潤之輔」の概要を参照ください。
- 人違いからの入門のページへのリンク