人民ノ名ニ於テ問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)
この間の1928年3月(前述三一五事件と同じ月)、パリで日本政府代表が不戦条約に署名調印する。その第1条に「人民の名において」とあり、野党はこれをそのまま批准すれば国体を変更することになると批判する。 不戦条約は英文と仏文で書かれ、その第1条には英文で"The high contracting parties solemnly declare in the name of their respective people ..."とある。これを和訳すれば「締盟国は各々その人民の名において厳粛に宣言する」となり、当時の外務省もそのように翻訳して国際時報に載せていた。この字句が物議を醸すと政府は急に訳文を隠し、議員が訳文の開示を要求しても、まだ翻訳が出来ていないと答弁する。尾崎行雄は、1929年2月に政府へ提出した質問主意書において、我らは軍国主義に反対するから不戦条約自体には賛成であるし、この問題は天皇大権に関係するから政争の具にしてはならないと言いつつも、次のように指摘する。 我が国と同じく不戦条約に調印したる米、仏、曼〔ドイツ〕、チェコスロバキア、ポーランド等の共和国は申すに及ばす、英、白〔ベルギー〕、伊〔イタリア〕等の君主国といえどもその君主はただ君臨するだけで統治せざる国柄であるから、人民をもって条約締結の主体となすのは当然の次第であるが、ひとり我が国に至りては、天皇は統治権を総攬し(憲法第四条)、また条約締結権を専有したまう(憲法十三条)であるから、人民をもって条約の主体となすことはできない。 しかし不戦条約第一条をかのままにしておいて御批准なされば人民をもって該条約の主体となすことになる。それは憲法第一条、第四条および第十三条に違反し、国体を変更し、条約締結の大権を天皇陛下の御手より人民に移すことになる。ゆえに政府は、まず勅命を請うて憲法を改正せざる限りは、かのまま該条約の御批准を奏請することはできないはずである。 日本政府は同年6月27日に不戦条約の批准を受ける際に異例の「宣言」を発し、不戦条約第1条中の「其ノ各自ノ人民ニ於テ」という字句は帝国憲法の条文からみて日本国に限り適用されないものと了解すると宣言し、この宣言を前提に批准する旨を批准書に書き入れて天皇の批准を受ける。それと同じ日、田中義一首相は張作霖爆殺事件について天皇に奏上し、犯人不明のまま責任者の行政処分のみで済ますと説明する。これが従来の説明と全く異なることから、天皇は強い口調でその齟齬を詰問し、さらに田中に辞表提出を求める。田中内閣は不戦条約批准問題で苦境に立ち、張作霖爆殺事件の責任問題で昭和天皇に咎められたことで、総辞職に追い込まれる。田中内閣に代わって立憲民政党の浜口内閣が成立し、不戦条約を公布する。その上諭は「右帝国政府の宣言を存して批准し、ここに右帝国政府の宣言とともにこれを公布せしむ」という異例の表記になる。
※この「人民ノ名ニ於テ問題」の解説は、「国体」の解説の一部です。
「人民ノ名ニ於テ問題」を含む「国体」の記事については、「国体」の概要を参照ください。
- 人民ノ名ニ於テ問題のページへのリンク