人民主権の議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/11 18:46 UTC 版)
「アメリカ合衆国の歴史 (1849-1865)」の記事における「人民主権の議論」の解説
ウィルモット条項が失敗すると、上院議員のルイス・カスが議会に人民主権の考え方を提案した。議会が党よりも会派で分裂を続けていたのでこれを一つにまとめるために、カスは議会には準州に奴隷制を認めるかどうかを決定する権限はないと論じた。何故ならば憲法にはそのための権限が挙げられていなかったからだった。カスはその代わりに準州に住んでいる大衆が自分達で奴隷制問題を解決すべきと提案した。民主党にとって、この解決案は見た目ほど明瞭ではなかった。北部民主党員は準州議会が招集された時に準州に生活する人民がこの問題に結論を出すことができるという「居住者主権」を要求した。南部民主党員は連邦議会に対して州昇格の申請がなされる州憲法の採択時に奴隷制問題が決着しているべきと論じてこの概念に論駁した。カスや他の民主党指導者達はこの問題を明確にできなかったので、選挙が近付いていたときでもあり、どちらの会派も侮辱されたように感じることもなかった。1848年にカスが選挙で敗れた後、イリノイ州選出の上院議員スティーブン・ダグラスが党の指導者となり、カンザス・ネブラスカ法で提案することになる人民主権の考え方に密接に結びつくようになった。
※この「人民主権の議論」の解説は、「アメリカ合衆国の歴史 (1849-1865)」の解説の一部です。
「人民主権の議論」を含む「アメリカ合衆国の歴史 (1849-1865)」の記事については、「アメリカ合衆国の歴史 (1849-1865)」の概要を参照ください。
- 人民主権の議論のページへのリンク