箕面有馬電気軌道34形電車
(京阪5形電車 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/11 08:28 UTC 版)
箕面有馬電気軌道34形電車(みのおありまでんききどう34がたでんしゃ)は、阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が、箕面線用に南海鉄道軌道線から譲受した、木造車体の電車である。本形式は1945年及び1949年に当時同一会社であった元京阪電気鉄道の大津線に転属し、京阪の分離再独立後返却されることなく譲渡されて同社の5型となったが、本項ではこの車両についても併せて紹介する。
注釈
- ^ 南海鉄道は1915年に阪堺電気軌道と合併したが、軌道線向けの車両は阪堺引継車52両のほかに大阪電車軌道引継の四輪単車20両も在籍していた。
- ^ 後の日本車輌製造東京支店。
- ^ 端子電圧600V時定格出力30kW
- ^ このとき新造されたのが能勢電初のボギー車である31形。
- ^ 151形の運用開始前には本形式と37形が営業運転に充当されたこともある。
- ^ 北野線のほか、阪神北大阪線や南海平野・上町線の統合が検討されていた。
- ^ 大正末期の宇垣軍縮で一旦分営となるが、後に再び連隊の衛戍地となる。
- ^ 代替として、元琵琶湖鉄道汽船の100形を改番した800型が京阪本線に転出することとなった。ただし、高床車運用はその後も残されて、1940年に800型が全車転出すると、京阪本線から100型が転入している。
- ^ 東洋レーヨンの工場は海軍向けの魚雷製造工場となり、旭ベンベルグの工場は住友通信工業を経てNECの工場となった。
- ^ 京阪入線後の形式名も1型。
- ^ 偶然にも、この4両は本形式の南海時代の車番である50 - 52の直前に当たる。
- ^ 転属時の詳細については箕面有馬電気軌道1形電車の項を参照のこと。
- ^ 正式の転入は京阪分離後の1950年4月。阪急1形の転入後の形式名は10型。
出典
- ^ a b c d 山口益生『阪急電車』JTBパブリッシング、2012年。43頁。
- ^ a b 阪急電鉄『HANKYU MAROON WORLD 阪急電車のすべて 2010』阪急コミュニケーションズ、2010年。22頁。
- ^ “段ボール製実物大「阪急北野線34形路面電車」製作快調”. レンゴー ニュースリリース. (2015年4月27日)
- ^ “段ボール製実物大模型が大勢の人々を魅了しました”. レンゴー ニュースリリース. (2015年5月20日)
- 1 箕面有馬電気軌道34形電車とは
- 2 箕面有馬電気軌道34形電車の概要
- 3 京阪5型
- 4 実物大段ボール模型
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