箕面線時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 01:09 UTC 版)
「箕面有馬電気軌道34形電車」の記事における「箕面線時代」の解説
本形式は当初の予定通り箕面線に投入されて、1形に代わって線内運用に充当された。 1926年には集電装置をパンタグラフ化すると同時に、デッキ部の補強と出入口への折戸設置の改造を実施した。このとき、パンタグラフに換装されなかった側のトロリーポールは存置されている。1928年には暖房装置の取り付けも行われている。また、箕面線の併用軌道区間も専用軌道化されたことから、フェンダーが撤去されている。 1926年には能勢電気軌道から自社の新車教習用として本形式の借用願を出され、翌1927年には37形ともども借用依頼を受けるなど、直接制御の小型ボギー車である本形式は、能勢電気軌道の多客期の応援要員として貸し出されることが多くなった。 ただ、この時期になると37形が箕面線に転入してきたことから車両運用の面で余裕が生じ、前述のように37形ともども能勢電気軌道に貸し出される機会も増加した。1930年には37形と交代して40形5両が箕面線に転入、通常の運用は40形でまかなえることから、余剰となった本形式は休車となり、池田車庫に留置された。
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