京からかみの技法
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江戸の唐紙師を「地唐紙師」ともいうが、これは京を本場とする呼称であった。その江戸から紙を「享保千型」ともいい、享保年間(1716〜36)に多様な紋様が考案され、江戸から紙が量産されたからその名がある。 江戸から紙は、江戸という大消費地を控えて需要が多く、から紙原紙は近くの武蔵の秩父・比企郡で産する細川氏を用いた。細川氏は純楮の生漉紙で「生唐」とも呼ばれた。 これに対して、京から紙は越前奉書紙や鳥の子紙などの高級な加工原紙を用いて、伝統技法と王朝文化の流れを汲む洗練された紋様を摺って、京から紙の伝統を守りそれを誇りとしていた。 京から紙師の意気を示すものとして、八代目の唐紙屋長右衛門が明治二十八年の第四回内国勧業博覧会に出品した時の審査請求書に、「東京、大阪地方ニ於ケル製品ハ、・・・・・粗製ノ上同業者競争ヲ起コシ 益々濫造ニ流ルゝノ傾向ナリ。之ニ反シテ京都製品ニ於テハ、紙質其他原料等ヲ撰ミ、・・・白地雲母唐紙ノ如キハ京都ノ水質ニ適シ、他ニ比類ナキ純白善良ナル品ヲ製ス。故ニ下等室壁張ニハ適セザルモ、上等室壁張唐紙等ハ悉く京都ニ注文アリ。之レ 我京都功者ノ名誉ナリ。」とある。 時代の流れで量産の必要性から、やや粗製濫造の傾向にある東京・大阪の唐紙屋に対して、伝統を重んじる京都の伝統工芸的職人の唐紙師の意地が示されていると言える。 京唐紙の技法の概略は、地紙をまず紙に礬水(どうさ)を引き、顔料あるいは染料で染める。そして具あるいは雲母を溶き、姫糊を加え、布海苔、膠(にかわ)、合成樹脂などを適宜に調合した顔料を、大きな篩に塗って、版木にまんべんなくつける。次に紙を版木の上に置いて手のひらでこすり紋様を摺る。その紙を篩でまた顔料で塗り、手のひらで摺ること二度三度と繰り返して、量感のあるふっくらと摺り上げて仕上げる。 京から紙は、版木に柔らかいホオノキを用い、刷毛でなく篩で顔料を塗り、バレンでなく手のひらで摺り上げ、独特の暖かみのある京から紙が作られる。また、版木による型押しの技法のほかに型紙による技法もある。片目によく練った雲母粉を、竹ベラでこの型紙の紋様部分を埋めていく。この他にも漆型押し技法や金箔・銀箔の箔押しや糊を付けた筆で紋様を描いて金銀砂子(すなご)を振り掛ける砂子振り等の技法も用いられた。さらに京独特の揉み紙技法もあった。 揉み紙の技法は、熟練した指の動きで各種の揉み紋様を表す技法で、上層と下層に違った顔料を塗って、揉み皺によって上層の顔料が剥落し下層の顔料が微妙な線となってあらわれ、独特の紋様を作る。揉み方には15種類があり、小揉み、大揉み、小菊揉み、菱菊揉み、山水揉みなどの名称がある。この揉みの技法に各種の型押し技法を組み合わせた手の込んだ、から紙もあった。京から紙の伝統は、手間暇を惜しまず、量産効果を望まず、ひたすらに伝統工芸の手作りの暖かみを保ち続けた。
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