第四回内国勧業博覧会
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「内国勧業博覧会」の記事における「第四回内国勧業博覧会」の解説
1895年(明治28年)、京都の岡崎公園(琵琶湖疏水の北側の地域)を会場として開催された。京都市の有力者が、平安遷都千百年紀念祭とあわせて、博覧会の誘致運動を進めたものである。 岡崎公園。4月1日から7月31日まで。総入場者数113万人。橋本雅邦「釈迦十六羅漢」「龍虎」、野口幽谷「菊鶏図」、滝和亭「松鶴遐齢、享天百禄」、黒田清輝「朝妝」、久米桂一郎「秋景晩暉」など。裸婦像「朝妝」の陳列の可否をめぐり世論が沸騰した。 博覧会に合わせて、1895年4月に七条(京都駅前)から博覧会場まで路面電車(京都電気鉄道)が開業した(後の京都市電木屋町線・京都市電蹴上線)。 博覧会跡地には平安神宮や文化施設が建設された。1903年には、博覧会跡地の市有地を岡崎公園とすることが京都市議会で決議され、1904年に公園が開園した。
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