博覧会付属水族館時代とは? わかりやすく解説

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博覧会付属水族館時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/20 05:00 UTC 版)

堺水族館」の記事における「博覧会付属水族館時代」の解説

この節の出典は。 水族館初め商業会議所第四回内国勧業博覧会京都で開れた時、堺市付属としての水族館設置運動行った許可されなかった。そこで1900年明治33年5月第五回内国勧業博覧会開催地が大阪市定まると、再度水族館設置運動着手した当時候補として大阪市中之島公園堺市大浜公園との両案があつたが、同年10月博覧会事務局からの、堺市将来とも水族館存続すること、施設工事費一部堺市負担することなどの条件受け入れることで堺市開催することが決定した会場1896年明治29年4月3日開園した約52000平方メートル(15760坪)の大浜遊園地内で、その敷地東京帝国大学理学部教授魚類学者飯島魁博士設計による約720平方メートル218坪)の和洋折衷木造一部2階建て水族館本館建てられた。工事1901年明治34年11月着工し1903年明治36年2月完工した。総工費は14100円余りで、その他の池の整備費等を加えると66800円余りであった。また水族館本館正面には高さ4.5メートル一丈五尺)の噴水の上に高さ2.58メートル八尺五寸)の龍女の像を立てた乙女噴水作られた。第五回内国勧業博覧会1903年明治36年3月1日から6月30日までの122日間渡り開かれたが、この間水族館への来場者数80万余りを数えた博覧会閉会後1903年明治36年7月31日博覧会付属水族館は国より堺市払い下げられ、翌8月1日博覧会付属水族館閉館が行われた。 また、安西冬衛により「堺水族館の歌」が作られた。

※この「博覧会付属水族館時代」の解説は、「堺水族館」の解説の一部です。
「博覧会付属水族館時代」を含む「堺水族館」の記事については、「堺水族館」の概要を参照ください。

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