博覧会後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/19 02:53 UTC 版)
「東京電燈スプレーグ式電車」の記事における「博覧会後」の解説
博覧会の会期終了後、これら2両は三吉電機工場に譲渡され、大師電気鉄道が1899年の開業時に1両を借り入れて使用、さらに同年6月にはもう1両と共に正式購入して車番を7・8とした。 この内7は電動車、8は付随車として使用され、7は後に12→21と改番を繰り返したが、いずれも終始予備車扱いであった。 これらの廃車時期は明らかとなっていないが、これらのいずれか1両が廃車後東京市街鉄道へ譲渡され、1906年9月11日に同社が東京電車鉄道・東京電気鉄道と合併して東京鉄道となり、東京市電気局に買収された後も記念電車と称して青山車庫で大切に保管され、その期間中博覧会などに記念物として出展されることもあった。 しかし、1945年5月25日のアメリカ軍による空襲で青山車庫は焼失、この記念すべき電車も被災し喪われた。 戦後、長らく焼け残った台車と主電動機の残骸が青山車庫から芝浦工場を経て荒川線荒川車庫にて保管され交通博物館や博物館明治村で復元保存する計画があったものの、結局焼損部品であったことから全てスクラップとして処分された。 そのため本車両および本車両に関する部品は一切現存しない。
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