第四回使節とは? わかりやすく解説

第四回使節

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:00 UTC 版)

元寇」の記事における「第四回使節」の解説

1269年文永6年至元6年9月、捕えた対馬島人の塔二郎と弥二郎らを首都燕京(後の大都)から護送する名目使者として高麗人金有成高柔らの使節大宰府守護所到来今度使節クビライ本人国書でなく、モンゴル帝国中央機関中書省からの国書高麗国書を携えて到来したモンゴル帝国による中書省牒 2度目国書モンゴル帝国中央機関中書省からの中書省牒だったことについて、クビライが「皇帝」の国書では日本側から返書得にくいと判断し皇帝本人からの国書よりも下部機関である「中書省」からの国書にすれば日本側が返書し易い考えたではないかとされるこの中省牒日本明確に服属要求する内容だった。 朝廷による返書『太政官牒案』草案 この中省牒に対して朝廷評定では、モンゴル帝国服属要求拒否することに決し、さらに拒否返書を出すこととした。早速、文書博士菅原長成が返書文を起草し中書省に対して返書太政官牒案」草案作成した草案内容は以下のように、モンゴル帝国に対して日本独立性主張した内容だった。「事情案ずるに蒙古の号は今まで聞いたとがない。(中略そもそも貴国はかつて我が国人物の往来無かった本朝日本)は貴国に対して何ら好悪の情は無い。ところが由緒顧みずに、我が国凶器用いようとしている。 (中略聖人仏教教えでは救済を常とし、殺生悪業とする。(貴国は)どうして帝徳仁義境地と(国書で)称していながら、かえって民衆殺傷する源を開こうというのか。 およそ天照皇太神天照大神)の天統を耀かしてより、今日の日本皇帝亀山天皇)の日嗣を受けるに至るまで(中略)ゆえに皇帝国土を昔から神国と号すのである。 知をもって競えるものでなく、力をもって争うことも出来ぬ唯一無二存在である。よく考えよまた、高麗国王・元宗にも返書案を作成しており、捕えられていた塔二郎と弥二郎送還便宜図ってくれた高麗側に慰労感謝述べた内容であった。 しかし、幕府評定により「返牒遣わさるべからずの旨」を決し朝廷返書しないことを上奏した。朝廷幕府提案受け入れたため、モンゴル帝国からの使節返書を得ることに失敗し帰還した

※この「第四回使節」の解説は、「元寇」の解説の一部です。
「第四回使節」を含む「元寇」の記事については、「元寇」の概要を参照ください。

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