井上長者館跡とは? わかりやすく解説

井上長者館跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:11 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
井上
長者館跡
遺跡の位置

井上長者館跡(いのうえちょうじゃやかたあと)は、茨城県行方市井上にある居館跡の遺跡航空写真から遺構の平面輪郭がクロップマークまたはソイルマークとして認められたことにより、その存在が知られた遺跡である。

概要

立地・環境

同遺跡は、霞ヶ浦北浦に挟まれた標高33メートル程の台地(行方台地)面に位置する。西からは霞ヶ浦に注ぐ小河川の谷が枝状に入り込み、東からは北浦に注ぐ山田川水系の谷地形が入り込んでいるが、遺跡の地点は概ね平坦な面である。現状は畑であり、地表での表示物となる遺構はまったく視認できない。

発見の経緯

1962年5月21日に国土地理院が撮影した井上長者館跡周辺の空中写真の切り抜き。遺跡発見の経緯となった写真は茨城県農地課によって撮影されたものであり[1]、本写真は遺跡の発見とは無関係である点に留意されたい。

遺跡は、1962年(昭和37年)にこの台地の地籍調査のために空撮された航空写真によって発見された[1]。写真には、茨城県道50号水戸神栖線西側にある畑の地表面に、クロップマークないしソイルマークらしき南北約100メートル・東西約100メートルの二重正方形のラインが、主軸を北東側にやや傾けて、はっきりと写っていた[1]。これは現在の遺跡調査における航空写真による遺跡判読の好例としても引用されている[2]

この付近は「長者郭」という小字地名が残っており、古代が表採されることで知られていた。また高野家に伝わる史料『高野助右衛門家文書』の中に「金塚長者郭の図」と呼ばれる製作年代不明の絵図面があり、これに描かれた正方形の二重を持つ居館跡の平面図が、発見遺構と酷似していたことから話題となった。なお発見当時の記録によると[3]学習院大学発掘調査をしたとされているが、現在同大学には調査の記録類が確認できないという[4][1]

なおこのような、クロップまたはソイルマークから遺構が確認された他の居館遺跡の類例としては、宮城県多賀城市南宮に所在し室町時代後期の留守氏居館と推定されている「内館館跡」(うちだてたてあと)がある[5]。また居館以外では、鹿児島県曽於郡大崎町横瀬古墳(国の史跡)で、墳丘裾の水田上に埋没した2重周溝が確認された事例がある[6]。他にも埼玉県行田市埼玉古墳群(国の特別史跡)の埼玉稲荷山古墳前方後円墳)では、発掘調査報告書(『埼玉稲荷山古墳』1980年刊)掲載の1968年(昭和43年)撮影の航空写真(図版二)の中に、長方形の周溝や失われた前方部、またその周囲の消滅円墳の痕跡が写り混んでいる[7]

発掘調査

1989年(平成元年)12月14日から1990年(平成2年)1月27日にかけて、玉造町遺跡調査会(玉造町教育委員会)が遺構規模の把握を目的としたトレンチ調査を行った。航空写真に基づいて、東西南北すべての二重ラインが見える位置に、ラインに直交する向きのトレンチ(試掘坑)を入れた結果、断面が逆台形をした幅4メートル前後の二重の空堀が検出され、奈良平安時代須恵器などの遺物覆土中から検出された[8]。調査結果から復元される外堀の規模は、東西120.5メートル、南北119.72メートルを測るほぼ正方形のプランで、主軸方向は北東に18度傾いていることが判明した[9]

西側に入れた2本のトレンチの内、1本では堀が検出されなかったが[10]、これは居館外から内部に入る陸橋(土橋)部分であったためとみられ『高野助右衛門家文書』「金塚長者郭の図」の方形居館図でも東西の辺では空堀の1ヶ所に陸橋らしい堀の切れ目が描かれており、これと一致するとされる[11]

調査報告では出土遺物の種類や年代から、遺構の年代を8世紀から10世紀頃の古代と捉えているが[11]中世居館と記載するものもある[12]

脚注

[脚注の使い方]

参考文献

関連文献

  • 玉造町郷土文化研究会『玉造町史料写真集』玉造町郷土文化研究会、1976年3月、97頁。

関連項目

外部リンク

座標: 北緯36度04分35.6秒 東経140度27分23.6秒 / 北緯36.076556度 東経140.456556度 / 36.076556; 140.456556


井上長者館跡(いのうえちょうじゃやかたあと)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 10:22 UTC 版)

ソイルマーク」の記事における「井上長者館跡(いのうえちょうじゃやかたあと)」の解説

茨城県行方市井上所在。「金塚長者の郭」と伝えられる場所だったが、1962年昭和37年撮影航空写真では、田畑中に一辺100メートル四方の堀に囲まれ居館埋没していることが、クロップマークまたはソイルマーク確認された。

※この「井上長者館跡(いのうえちょうじゃやかたあと)」の解説は、「ソイルマーク」の解説の一部です。
「井上長者館跡(いのうえちょうじゃやかたあと)」を含む「ソイルマーク」の記事については、「ソイルマーク」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「井上長者館跡」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「井上長者館跡」の関連用語

井上長者館跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



井上長者館跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの井上長者館跡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのソイルマーク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS