五郎兵衛用水とは? わかりやすく解説

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五郎兵衛用水


五郎兵衛用水
水田潤す五郎兵衛用水(つきせぎ)
五郎兵衛用水
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五郎兵衛用水
水土里の路ウォーキング
(五郎兵衛用水ウォーキング)
五郎兵衛用水
五郎兵衛用水 疏水概要

疏水所在
長野県佐久市(旧浅科村

所在地域の概要
疏水概要・特徴浅科村長野県の東玄関口佐久平のほぼ中央位置し浅間蓼科連峰雄大な山なみと千曲清流とが織りなす美しい自然 と歴史恵まれた田園です。
往古より幾多の変せんを見ながら、江戸時代には塩名田、市左衛門新田御馬寄矢島五郎兵衛新田八幡蓬田桑山の各があり、それらの明治以降逐次合併重ねて1955 (昭和30)年に南御牧村中津村五郎兵衛新田村の3か合併してでき たです。
現在は、今年4月1日佐久市臼田町浅科村望月町の4市町村合併して佐久市となってます。

疏水概要・特徴
五郎兵衛用水は、今から370年も昔の17世紀始め市川五郎兵衛真親(さねちか)が現在の佐久市浅科不毛の原野水田開発するために、その生涯私財投じて築いた用水です。
遠 く蓼科山山中湧いている湧水水源として細小路川湯沢川合流点佐久市春日)で取水鹿曲川東側断崖水路切り込み片倉山に隧道掘り抜き布施の谷に導水布施川掛樋渡し百沢八幡矢島山裾回り矢島山を隧道掘り 抜き9 ヶ経て上原大盤台(分水盤)に用水引いてきたのです。で最も高いところにを通すために盛土をし、それは「土樋 (つちどい)」「築堰(つきせぎ)」と呼ばれていますが、その長さは千メートルあまりに及んでます。
このように五郎兵衛用水は、当時の高度な土木技術によって造られ全長はおよそ22km。完成したのは寛永7,8年の頃、つまり足かけ4 ,5年要した大工事でした。
五郎兵衛用水は、市川五郎兵衛はじめとする先人たちの血と汗の結晶でしたが、これを維持するのは大変な作業でした。五郎兵衛用水は、いわば土を固めただけであったため、大水落盤などでしばしば壊れてしまい、補修にも多大費用労力費やし維持するのが大変な作業でした。
こうした努力は、江戸時代だけでなく明治大正昭和時代まで続けられましたが、昭和30年半ばからの五郎兵衛用水の大改修 工事が行われ、およそ10年歳月をかけて近代的な用水生まれ代わり安定的に用水供給されるようになりました
今では佐久市だけでなく、東御市小諸市一部までを潤す大切な用水となってます。



くわしい情報
五郎兵衛用水
市川五郎兵衛(五郎兵衛用水について)
http://www31.ocn.ne.jp/~nammoku/gorobe.html
五郎兵衛用水
長野県文化財
http://www1.ocn.ne.jp/~oomi/tokusyu5.htm
五郎兵衛用水
五郎兵衛用水
http://www.nag-doren.or.jp/nn/data/goro-1.html
五郎兵衛用水
五郎兵衛用水




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