二度目の結婚と、神からの呼び声
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 17:59 UTC 版)
「キャリー・ネイション」の記事における「二度目の結婚と、神からの呼び声」の解説
キャリーは教員免状を取得したが、この分野で充分な収入を得ることが出来なかった。キャリーはその後デイヴィッド・A・ネイション博士と知り合った。デイヴィッドは弁護士、牧師、新聞の編集者で、キャリーより19歳年上であった。二人は1877年12月27日に結婚した。夫婦はテキサス州ブラゾリア郡のサン・バーナード川のほとりにある1700エーカー(690ヘクタール)の綿の大農園を購入した。しかし二人とも農業に関する知識が不足しており、この事業は失敗に終わった。ネイション博士はカケス=キツツキ戦争(Jaybird-Woodpecker War)に巻き込まれ、結果、1889年には北へ引き返すことを強いられた。カンザス州メディスン・ロッジ(Medicine Lodge)に戻ったデイヴィッドは教会で説教をする仕事を見つけ、キャリーはホテル経営を行なって成功した。 キャリーが禁酒主義の活動を始めたのは、メディスン・ロッジ時代のことであった。キャリーはWomen's Christian Temperance Union(キリスト教禁酒婦人連盟)の地方支局を開局し、蒸留酒の販売を禁止するようカンザス州に求めるキャンペーンを張った。キャリーのやり方は、初めは単なる抗議だったがエスカレートしてゆき、バーテンダーに「お早うさん、魂の壊し屋さん」のような当てつけがましい挨拶をしたり、酒場の常連客に向かって手回しオルガンで賛美歌を奏でるようになった。 その努力の結果に満足しなかったキャリーは、神に対して直接に祈りを捧げることを始めた。1900年6月5日、キャリーは、自分が天国の幻像という形で神からの答えを受信した、と感じた。キャリーは以下のように述べている。 The next morning I was awakened by a voice which seemed to me speaking in my heart, these words, "GO TO KIOWA," and my hands were lifted and thrown down and the words, "I'LL STAND BY YOU." The words, "Go to Kiowa," were spoken in a murmuring, musical tone, low and soft, but "I'll stand by you," was very clear, positive and emphatic. I was impressed with a great inspiration, the interpretation was very plain, it was this: "Take something in your hands, and throw at these places in Kiowa and smash them.(訳)その翌朝、私は「カイオワに行け」という声で目を覚ましました。その声はどうやら私の心に語りかけてくるようでした。次に私の両手が持ち上げられたかと思うと下ろされました。そして「我は汝のそばにいる」との声。「カイオワに行け」という言葉はつぶやくような、音楽的な口調で、低く柔らかでした。しかし次の「我は汝のそばにいる」という言葉は非常にくっきりと明瞭で、断固とした調子でした。私は素晴らしい霊感が湧いてくるのに身を震わせました。解釈は極めて単純なものです。つまり「何かを手に持って、カイオワの酒場という酒場に投げつけ、それらを粉砕しろ」ということなのです。 — 天啓に従い、キャリーは幾つか石塊を集めて(キャリーはそれらを「粉砕用具」と呼んだ)ドブソンの酒場へ赴いた。キャリーは「飲んだくれの末路から皆さんを救うために参りました」と宣言し、石塊を取り出すと酒場の在庫の破壊を開始した。キャリーが同様の方法でカイオワ郡の酒場を更に二つ破壊した後、竜巻がカンザス州東部を襲った。キャリーはこれを、自分の行動に対する神の是認の印だと見なした。
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