二度目の自殺未遂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 07:10 UTC 版)
1914年(大正3年)秋、株式取引所や新聞社で働きながら大学を志し再び上京。母の再婚先である浅草橋には居づらく、神田の洋品店に住込んだり出版社の外交員などをしながら『世界新聞』に投稿、小品(近什二編:漂泊者 一 - 五 / 路上 一 - 五)が掲載された。自らの環境、運命を改変し、往くべき途を開拓するには「文筆に頼るしかない」と長編の執筆に焦るが、思うにまかせずここでも自殺を図った。1916年(大正5年)春、自殺未遂事件で母は離婚し母子ともに金沢に戻る。母の実家はすでに没落しており、このため母と共に金沢市外、犀川下の貧民街(養鶏場の一隅と伝えられる)に住み、母の針仕事に助けられながら、のちの『地上』の原型となる習作を書き始めた。このころの未定稿「大地炎上」「地上 草稿(タイトルも名前も付されていないが、明らかな後の第一部の原型)」が遺されている。【註:石川近代文学館蔵/清次郎母の実家から寄贈された大量の未定稿の中から、1982(昭和57)年12月7-8日未明発見された。】
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