二度目の調査探検、1853年–1856年
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「ヴィンセンス (戦闘スループ)」の記事における「二度目の調査探検、1853年–1856年」の解説
1853年3月21日、再び任務につき、5月13日、ノーフォークにおいて、リングゴールド(Cadwalader Ringgold)中佐の率いる調査探検隊の旗艦となった。今回の調査先は中国水域、北太平洋、ベーリング海峡であった。リングゴールド中佐はウィルクス探検隊にも参加したベテランであった。艦隊はヴィンセンス、フェニモア・クーパーなど5隻で構成されており、1853年6月11日ノーフォークを出港、インド洋の数多くの島や浅瀬を地図に記載した後、中国には1854年3月に到着した。そこで病気となったリングゴールドに代わり、マシュー・ペリー代将は調査隊の指揮権をジョン・ロジャース(John Rodgers)大尉に与えた。 ヴィンセンスは小笠原諸島、マリアナ諸島を調査し1855年2月に香港に戻った。3月に調査隊は再び出港、琉球諸島や千島列島の島々を調査した。ヴィンセンスはペトロパブロフスクで艦隊の他の艦艇と別れ、ベーリング海峡を突破し、ウランゲリ島を目指し北西に進んだが、流氷のため島には到着できなかった。しかし、これまでのいかなる艦船よりもウランゲリ島に塚づいた。10月初めサンフランシスコに戻り、ホーン岬を経由して1856年7月13日ニューヨークに到着し、4回目の地球一周を終えた。
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