二度目の離婚、日本初の「歌う女優」と発禁騒動
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1908年、同郷の埴科坂城町出身の前沢誠助と結婚する。東京高等師範学校地歴科を卒業した前沢は、その年の11月に「東京俳優養成所」の講師になり、日本史を担当した。 1909年、坪内逍遥の文芸協会演劇研究所第1期生となる。家事がおろそかになることも多く、1910年10月、前沢と離婚。 1911年、『人形の家』の主人公ノラを演じて認められ、1913年、島村抱月と芸術座を旗揚げし、『復活』(トルストイ原作、抱月訳)のカチューシャ役が大当たりし、人気女優となった。須磨子が歌った主題歌「カチューシャの唄(復活唱歌)」(抱月作詞・中山晋平作曲)のレコードも当時2万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。須磨子は日本初の歌う女優となった。 1915年、島村抱月ともにロシア帝国のウラジオストクを訪れ、ロシアの劇団との合同講演をプーシキン劇場で行い大好評を博した。また後に流行歌となる「ゴンドラの唄」(吉井勇作詞・中山晋平作曲)も歌唱した。 1917年、『生ける屍』の主題歌「さすらいの唄」(北原白秋作詞・中山晋平作曲)が大ヒット。レコードは5〜6か月間に27万枚を売り上げた。 1917年に発売したレコード「今度生まれたら」(北原白秋作詞)では、歌詞の中にある「かわい女子(おなご)と寝て暮らそ」の部分が当時の文部省により猥褻扱いされ、日本における発禁レコード第1号となった。
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