中浜のバク病取調報告
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:37 UTC 版)
「八丈小島のマレー糸状虫症」の記事における「中浜のバク病取調報告」の解説
中浜は八丈小島と八丈島での調査内容を、同年(1896年)発行の東京医事新誌954号に、『八丈島属島小島におけるバク病取調報告』として報告した。これにより八丈小島のバクと呼ばれる風土病が日本の医学界に知られることになった。 中浜の報告によれば、1896年(明治29年)調査時点での八丈小島の戸数および人口は、宇津木村が28戸、人口150名。鳥打村が戸数41戸、人口270名、八丈小島全体では戸数69戸、人口420名であった。中浜が島民から聞き取った話によれば、生涯中にバクを患わない島民はほとんどいないという。症状が軽いまま一生を過ごす者もある一方、下腿に重度の肥大を残す重症者も少なからずおり、調査の時点で重症者は75名、そのうち女性が57名であった。最初の発症は年少の7、8歳から12、13歳の間で、高齢になってから初めて発症することはほぼないという。 最初の症状は全身の戦慄を伴う発作的な高熱と下肢のリンパ腺の腫れから始まるが、この発作の期間や軽症重症の度合いは人によって異なる。発作は反復することが多く、回数もまちまちで、数年に1回の者もあれば、ひと月の間に数回起こす者もいる。患部への、ほんのわずかな外傷で発作を起こすことが分かっていて、発作を起こす時期は春と秋に多い。発作を何度も繰り返すと患部の皮膚のむくみ(浮腫)が残り、ついには肥大してしまう。ただし、発作のない通常時は足が奇形を呈しているだけで日常生活に支障はなく、また、この病気によって早世することはないため、患者の中には高齢者も多いことなどが分かった。 これらのことから中浜は、バクの本態はいわゆる象皮病であり、九州南部などでフトスネ(太脛)、コエスネ(肥脛)などと呼ばれるものと同一であると結論した。これに基づきフィラリア症、あるいは一種のバチルス菌による感染の疑いがあったため、数名の患者の血液検査を深夜に行ったものの原因は不明であったという。 19世紀後半の当時は寄生虫学に関する知見が十分でなかった時代であり、今回の八丈小島上陸調査は短期間かつ悪条件下での実地調査であったため、本病のおもな症状が象皮病であると確認されただけであった。しかし、中浜が観察して書き残した「腫大肥厚するのは下肢が最も多く、上腿、上肢とこれに次ぎ、陰嚢にこれを生じるものは1名も認められなかった」とする記録は、後年重要な意味を持つことになった。
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