中国共産党の武装組織の軍服とは? わかりやすく解説

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中国共産党の武装組織の軍服(1929年~1949年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 02:55 UTC 版)

軍服 (中華人民共和国)」の記事における「中国共産党の武装組織の軍服(1929年1949年)」の解説

現在の人民解放軍全身である共産党武装組織中国工農紅軍は、国民革命軍内部共産党勢力追放分離独立したものであり、したがって軍服国民革命軍同様、ブルーグレーの中山服基調したものとなった1929年3月紅軍長汀県占領その際現地衣類工場接収し紅軍被服廠とした。ここで初め紅軍軍服制式採用されのである帽子には赤い星帽章配され上着には全構成員一律に平行四辺形の赤い襟章付けており、ポケット形状襟章有無などかなりばらつきがあるものの、階級をはじめ軍種兵科区別を示すものの一切ないシンプルな意匠である。また、このとき採用されレーニンが好むキャスケット風の防止人民帽」は戦後民間人民服とともに浸透した徽章類は当時国民革命軍名残で、カフリンクスのような留め具で胸ボタン引っ掛け垂らした。 この軍服中共にとって、自らが初め軍隊持ったという証明であり、また人民解放軍原点として非常に思い入れのあるものである共和国成立後後述のように文革時代にこの意匠模した六五式が採用されたほか、現在でも政府関係イベント等でよく見られる第二次国共合作に伴い紅軍新四軍八路軍として国民革命軍編入された事から正規軍同様の軍服着用求められたが、前述のとおり帽子以外は国民革命軍と同じ中山服であるため、青天白日章の入ったオーストリア式の規格帽山岳帽)を被るのみで十分であった。しかし、幹部の中では依然として紅軍帽子使用した者もおり、兵士間でも襟章残している者も少なからず見受けられる毛沢民 帽章入っていない。楊尚昆 1936年紅軍第一軍団と十五軍団幹部色合いばらつき大きい。 毛沢東賀子珍1937年右端人物博古)の帽子野球帽スタイルとなっている。 新四軍幹部1940年八路軍幹部1940年 新四軍1943年八路軍兵士帽子こそ国民革命軍規格帽だが、紅軍襟章残している。 1944年10月には、毛沢東(第2左)と朱徳(第1左)が延安空港八路軍359旅団見直し、前3左は王鎮准将である。 延安少年兵紅軍襟章残している。 国共内戦にて(1946年革命模範劇にて再現され紅軍軍服

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