不知火光右衛門 (横綱)
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不知火 光右衛門(しらぬい こうえもん、1825年 - 1879年2月24日)は、肥後国合志郡陣内村(現在の熊本県菊池郡大津町)出身で境川部屋(入門時は大坂相撲の湊部屋)所属の元大相撲力士、第11代横綱。本名は、近久峰松(ちかひさ みねまつ、旧姓は原野)。身長177cm、体重120kgと伝わる。
来歴

2つの横綱土俵入りのうち、雲龍型の考案者であるといわれている。しかし、不知火と第10代横綱の雲龍久吉の土俵入りが立派であったため、後世に名が残されたとの見方もある。(雲龍久吉を参照。)色白でかなりの美男子であったといわれている。
同郷の先輩である不知火諾右衛門の弟子となり、大坂相撲は湊部屋で修行する。のちに江戸へ出て境川部屋所属となり、殿り峯五郎(しんがり みねごろう)の四股名で1850年(嘉永3年)11月場所に幕下二段目付け出しで初土俵を踏む。肥後藩細川候のお抱えとなって1856年(安政3年)11月入幕、翌1867年(安政4年)1月に不知火光右衛門と改名。1862年(文久2年)2月大関昇進、翌1863年(文久3年)3月に吉田司家から横綱免許を受けた。晩年は大坂相撲に戻って、下の名を諾右衛門と改めて横綱土俵入りのみを務めた。引退後は年寄・不知火を襲名し、頭取専務となった。
主な成績
- 幕内在位 27場所
- 幕内成績 119勝35敗15分9預77休、勝率.773。優勝相当成績3回。
関連項目
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