陣内村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/12 14:56 UTC 版)
じんないむら 陣内村 |
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廃止日 | 1956年7月31日 |
廃止理由 | 新設合併 大津町、陣内村、平真城村、瀬田村(一部)、護川村(一部)、錦野村(一部) → 大津町 |
現在の自治体 | 大津町 |
廃止時点のデータ | |
国 | ![]() |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 熊本県 |
郡 | 菊池郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 6.69 km2 |
総人口 | 3,933人 (国勢調査、昭和30年) |
隣接自治体 | 菊池郡大津町、菊陽村、瀬田村、阿蘇郡錦野村 |
陣内村役場 | |
所在地 | 熊本県菊池郡陣内村大字陣内1166番地4 |
座標 | 北緯32度51分45秒 東経130度52分24秒 / 北緯32.86247度 東経130.87333度座標: 北緯32度51分45秒 東経130度52分24秒 / 北緯32.86247度 東経130.87333度 |
ウィキプロジェクト |
1956年8月1日、大津町および菊池郡平真城村、瀬田村(一部)、護川村(一部)、阿蘇郡錦野村(一部)と新設合併し、新町制による大津町となった。かつての村域は大津町の南小学校校区から岩坂地区を除いた地域となっている。
沿革
- 1889年4月1日 - 町村制施行により森村、陣内村、町村、下町村、中島村が合併し陣内村が発足。
- 1956年8月1日 - 大津町・陣内村・平真城村・瀬田村(一部)・護川村(一部)・錦野村(一部)が対等合併し、大津町となる。
地理
旧大津町の南に位置していた。村の大半が白川の右岸に位置しており、中島地区のみ左岸に位置する。三代実録に記される貞観11年(869年)の洪水により流水路が変わったという(陣内志談)。東西4㎞、南北2㎞である。
歴史
基本的に大津町史に準拠する。
原始
弥生時代の土器が発見されている。また、長さ90㎝ほどの銅鉾が発見されている。大津日吉神社六代坂本土佐守の社記によると、「天保12年の閏年正月、長さ3尺、重さ6斤鋳物と見ゆ下町出分にて竹山開きに掘り出したる由」とあり、相当の豪族がいたと考えられる。この銅鉾は現存しており下町区長宅で保存されている[1]。
中世
合志氏が合志郡を支配するようになると、阿蘇氏への抑えとして玉岡に重臣の稲葉安芸守が玉岡城を築いた。玉岡城には後に帆保氏が入る。
島津氏により主家である合志氏とともに勢力を失ったとされる。
近世
慶長九年検地帳、正保郷帳によると集落は森、陣内、町、中島の4つであったとされる。江戸初期には石高3,012石余、耕地面積は約460町ほどだという。江戸時代の陣内一帯は三家老の1人米田家(長岡堅物)の知行地だった。
教育
- 陣内村立陣内小学校(現・大津町立大津南小学校)
- 陣内村立陣内中学校(後に旧・大津町の大津町立大津中学校に統合。菊池郡大津町外2ヶ村中学校組合立大津中学校となる。)
交通
道路
- 県道
出身著名人
関連項目
- ^ “大津町管内指定文化財一覧”. 大津町 (2022年10月). 2025年6月11日閲覧。
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