不正の発覚
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「東京大学文学部不正入試事件」の記事における「不正の発覚」の解説
この事件が発覚した経緯については複数の説がある。 村上直之は下記の経緯としている。 この事件は事務長以下、4人の事務職員が関与する共謀行為だった。関与したある職員が、同じく関与した別の職員に対する妬み(自身よりも勤続年数が少ないのに高給)から、学内の日本共産党員に不正入試がおこなわれているという情報を内部告発として提供し、この共産党員が学生自治会に働きかけて自治会が真相究明に乗り出したことで発覚した。 一方、岡本亮輔は次のように記載している。 1948年11月に、大学地下倉庫に保管されていた同年3月の入試答案280人分が盗難される事件が起き、容疑者として逮捕された事務職員が「対立する派閥が不正をおこなっている証拠をつかむために盗んだ」と供述したことで発覚した。 事務職員の内部告発と、答案窃盗との関連は不明である。 村上直之によると、不正事件が最初に報じられたのは1948年12月1日だった。 事務長ら4人は公文書変造兼詐欺などの容疑で東京地方検察庁に送検されたが、不起訴となった。
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不正の発覚
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「エリック・ポールマン (生物医学者)」の記事における「不正の発覚」の解説
ニューヨーク・タイムス紙の記事を中心に、「全体の参考文献」の内容を加味すると、以下のようだ 。 ポールマンは、患者の加齢とともに、脂質の1種である低比重リポタンパク(LDL)が血液中に増加すると予想した。低比重リポタンパク(LDL)は動脈にコレステロールを沈着させる作用がある。同時に、加齢とともに、今度は逆に、血液中の高比重リポタンパク(HDL)が減少すると予想した。高比重リポタンパク(HDL)は肝臓にコレステロールを運び、コレステロールは肝臓で分解される。それまでの数十年間の情況証拠は、加齢とともに脂質レベルが悪化することを支持していたので、ポールマンの仮説は生物医学研究界にすんなり受け入れられた。ポールマンは、患者の血液中の脂質を測定することで、この仮説を実証しようと考えた。 1998年、ポールマンを師と仰ぐ22歳の若い男性・ウォルター・デニーノ(Walter DeNino)がポールマン研究室のテクニシャンとして採用された。 2000年の10月、決定的なことが起こった。 デニーノは、共同研究として行なっている患者の血液中の脂質データを論文にするよう、ポールマンに命じられた。デニーノは早速、脂質データの統計分析したが、データはポールマンの仮説と合わなかった。ポールマンにデータを見せると、ポールマンは患者の元データが自宅にあるから検討すると、データの電子ファイル(マイクロソフト・エクセル)を自宅に持ち帰った。翌週、デニーノは、ポールマンからは電子ファイルを返してもらったが、その時、「いくつかの間違いがあったので、それを修正しておいた。もう一度、統計分析をしてくれ」とポールマンに依頼された。それで、デニーノは、電子ファイルを開けて、データの統計分析をし直した。すると、先週まではバラバラだったデータが、今度は全く整然としていて、仮説通りに、加齢と伴にHDL値は減少し、LDL値は増加していた。 デニーノは不思議に思い、元のデータ一覧表とポールマンが彼に渡してくれたデータ一覧表を比較した。1回目の血液検査と2回目の血液検査を比較すると、元のデータ一覧表では、多くの患者のHDL値は特定の傾向を示していなかった。あえて言えば、増加の傾向にあった。しかし、ポールマンが改訂したデータ一覧表では、患者のHDLはどれも減少していた。 デニーノは、患者の元データと比較したいので見せてほしいとポールマンに頼んだ。ポールマンの返事は、元データは見せられないということだった。この時、デニーノは、患者の元データはポールマンの自宅にはなく、なにかおかしなことをしているのではないかと疑った。 それで、再度、データ一覧表をよく調べた。すると、ポールマンに変更された数値は、ポールマンの仮説に合わなかった数値だけで、変更されなかった数値は、ポールマンの仮説に合った数値だけだった。デニーノは驚いて、何度も、データ一覧表を見直した。 2000年末、デニーノは、バーモント大学にポールマンの不正研究の告発をし、退職した。 2000年12月28日、バーモント大学はポールマンの不正研究の告発を正式に受理した。バーモント大学はすぐに調査委員会を設置し、調査を開始した。 2001年9月、ポールマンはバーモント大学を退職した。 2002年4月18日、バーモント大学の最終調査報告書(2002年4月18日)が公表された。最終調査報告書によると、ポールマンが不正研究をしたのは明白であると結論した。今回の不正は、1999年5月から2000年にかけてされていた。 2004年5月28日、デニーノは、バーモント地方裁判所にポールマンを虚偽請求取締法(en:False Claims Act)31 U.S. Code § 3730 違反で、「私人による代理訴訟(en:qui tam action)」を起こした。
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