三好秀男とは? わかりやすく解説

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三好秀男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/18 02:08 UTC 版)

三好 秀男
生誕 1920年1月1日
日本 愛媛県
死没 (2014-05-08) 2014年5月8日(94歳没)
日本 東京都
所属組織 大日本帝国陸軍
警察予備隊
保安隊
陸上自衛隊
軍歴 1940 - 1945(帝国陸軍)
1952 - 1952(予備隊)
1952 - 1954(保安隊)
1954 - 1974(陸自)
最終階級 陸軍大尉(日本陸軍)
陸上幕僚長たる陸将(陸自)
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三好 秀男(みよし ひでお、1920年大正9年〉1月1日 - 2014年平成26年〉5月8日)は、日本陸軍軍人及び陸上自衛官陸士53期[1]陸大59期恩賜[1]。第12代陸上幕僚長

略歴

愛媛県出身。東京陸軍幼年学校、陸士、陸大を首席で卒業[2]太平洋戦争中は、フィリピンバターン半島の戦いにも参加[3]1944年(昭和19年)12月、第21師団参謀となり、ハノイで終戦を迎えた[3]

復員後は郷里の松山市で鞄の製造販売をして[3]1951年(昭和26年)10月に警察予備隊警察士長(少佐相当)で入隊した。陸上自衛隊では情報畑に進み、1960年(昭和35年)10月から約3年間、ソ連防衛駐在官として赴任[3]。その後は陸幕第5部長、第11師団長、陸上幕僚副長等の要職を歴任し、1974年(昭和49年)7月に第12代陸上幕僚長に就任した。陸幕長として陸幕の大改革を断行、米軍の旧制度が残る陸自を海空とおなじ機構に改編した[2]1976年昭和51年)9月に発生したベレンコ中尉亡命事件の対処に当たるが、同事件に関する記録破棄の政府の指示に抗議し辞任した。

年譜

栄典

  • 勲二等瑞宝章 - 1990年(平成2年)4月29日

脚注

  1. ^ a b c 秦 2005, pp. 545–611, 第3部 陸海軍主要学校卒業生一覧-I 陸軍-1.陸軍大学校卒業生
  2. ^ a b 歴代陸幕長を総括する / 小名孝雄「軍事研究」 1985年5月 P54~68 ジャパンミリタリー・レビュー
  3. ^ a b c d 朝雲新聞(1974年7月4日)「この人と10分間」
  4. ^ 『官報』号外第47号(平成2年5月1日)
  5. ^ 元陸上幕僚長の三好秀男氏死去 MSN産経ニュース 2014年5月12日
  6. ^ 『官報』本紙第6310号(平成26年6月13日)

参考文献

外部リンク

先代
曲壽郎
陸上幕僚長
第12代:1974年 - 1976年
次代
栗栖弘臣



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