三国電灯・武周電力との合併
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「越前電気」の記事における「三国電灯・武周電力との合併」の解説
越前電気に続いて開業した、福井県で4番目の電気事業者である三国電灯株式会社は、1910年(明治43年)5月18日、県北部の坂井郡三国町(現・坂井市)に設立された。社長となった橋本利助をはじめ三国町内在住者だけで発起されたもので、石川県小松町にて小松電気が開業したのに触発されて計画が進められた。開業は翌1911年4月1日。当初の電源は小松電気と同じく、燃料を不完全燃焼させて燃料ガスを発生させるガス発生装置と、その燃料ガスを吸入して作動するガス機関を組み合わせた「吸入式ガス発動機」という機械を原動機とする、小規模な火力発電所(出力84キロワット)を導入していた。 三国電灯では1913年(大正2年)に水力発電所建設を決定、2年後の1915年7月竹田川に出力125キロワットの川上発電所を完成させた。水力発電所建設に伴い供給区域が拡大され、同年12月には御大典記念として料金引き下げも実施された。さらに大戦景気も重なり、三国電灯の供給実績は短期間で急増し、供給余力がなくなった。その対策として1919年に武周電力との間で受電契約を締結している。 その武周電力株式会社は、1916年8月に丹生郡朝日村(現・越前町)に設立された電力会社である。武周ヶ池の吐き口を高さ17メートル・長さ100メートルの堰堤で締切り、池の水を1.7キロメートルの水路で日本海の蒲生海岸まで導いて270メートルという高落差を得て発電する、という蒲生発電所の建設を進め、1919年9月に開業した。発電所出力は600キロワットで、丹生郡内の15村に供給したほか半分の300キロワットを三国電灯へと送電していた。 1910年から越前電気社長を務める森広三郎は、1924年(大正13年)になって三国電灯の社長にも就任した。また同年、越前電気は武周電力の筆頭株主となった。こうした準備を経て翌1925年(大正14年)9月30日、(旧)越前電気・三国電灯・武周電力3社の新設合併により新たな越前電気株式会社が発足した。新会社の資本金は300万円(1928年の増資以降500万円)。本社は引き続き鯖江町に置かれた。
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