ワンゲル事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 16:58 UTC 版)
「東京農業大学全学応援団」の記事における「ワンゲル事件」の解説
詳細は「東京農業大学ワンダーフォーゲル部死のシゴキ事件」を参照 1965年(昭和40年)5月15日農友会ワンダーフォーゲル部が奥秩父へ合宿に出発した。その際、強行を強いられた新入生が死亡する事故が起き、これが死のシゴキ事件として新聞に報じられた。事件発生直後から学内では学生集会やクラス討論会など連日行われ、騒ぎは拡大の一途をたどった。その騒ぎの中、学生会が中心となり「学園民主化委員会」が設立された。一方、クラス討論会においては「シゴキ」に関して賛否両論が激しく対立していた。結論が出ないまま、5月27日にワンゲル事件について大学当局からの報告会があったが、この報告会と新聞等の報道内容とはかなりの食い違いがあった。質疑打ち切りを強行した学校当局側と学生側との間で小競り合いが続き、不満を持った参加学生の圧倒的支持によって、直ちに学生大会が強行された。学生大会は5つの議題が決議されたが、6月2日の学生大会において第4議題として「応援団問題」が取り上げられた。この学生大会で一番問題にされたのは「応援団は暴力団」と公言されたことであった。更に、学生会中央委員会委員長より「応援団を全学組織か農友会所属のクラブにするかを全学投票により決めてはどうか」との提案があった。遂にこの事件は、応援団の存続問題にまで発展した。応援団を現状の全学組織で行うか、クラブ組織にするかの全学生投票が10日と11日に行われ、その開票が応援団幹部と学生会から各2名の立ち会いのもとで行われた。その開票結果は2114票対1337票。全学組織で続けることが決定された。 昭和40年代前半は70年安保・学費値上げを問題として学生運動が全国に拡大し、学園紛争が勃発した。農大においても立て看板を連立する動きが目立った。応援団幹部を中心に一般学生有志をもって一志会を結成し学内の警備を強化し、定期巡回を開始した。その活動中に過激派との小競り合いが頻発し、幹部が負傷して入院するといった事件が起きた。
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