ロスネグロス島とは? わかりやすく解説

ロスネグロス島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 16:24 UTC 版)

アドミラルティ諸島の戦い」の記事における「ロスネグロス島」の解説

1944年1月から、連合国軍東部ニューギニアから出撃する航空部隊アドミラルティ諸島およびカビエン事前空襲開始した消耗避けるため、江崎大佐対空砲火などを制限した日本軍抵抗微弱との報告受けたマッカーサー大将は、大規模上陸をする計画変えて2月29日までに第1騎兵師団から抽出した800名の戦闘団ブルーワーBREWER任務部隊」(長:ウィリアム・チェイス(en准将)をロスネグロス島に上陸させ、威力偵察することを命じた。もし抵抗弱ければ、2日後増援送って飛行場占領するものとされた。威力偵察隊は高速輸送艦APD)で輸送されることになり、支援のために軽巡洋艦2隻と駆逐艦4隻が付きマッカーサー自身前線指揮のため軽巡フェニックス」に乗艦していた。2月27日には、5名の偵察員がPBY飛行艇使ってロスネグロス島に潜入した2月29日朝、ブルーワー任務部隊はロスネグロス島南東部ハイン湾から上陸開始した上陸用舟艇気付いた日本軍沿岸砲発砲始めたが、艦砲射撃制圧された。激しい雨が降り出したため、日本軍砲火命中率低かったハイン湾内には日本軍陣地がほとんど無く上陸後日本軍抵抗微弱で、1200時までにブルーワー任務部隊の上陸は終わった1600時にはマッカーサー大将トーマス・C・キンケイド海軍中将作戦続行判断のために上陸した帰艦したマッカーサー大将らは、このままアドミラルティ諸島占領することにし、後続部隊の派遣命じた。そして、マッカーサー大将らを乗せた支援艦主力アドミラルティ諸島付近去り以後総指揮第6軍司令官ウォルター・クルーガー中将が執った。 ブルーワー任務部隊橋頭堡対し日本軍歩兵229連隊第1大隊による夜襲をかけたが撃退され大隊長以下多数戦死したアメリカ軍徐々に増援部隊得て前進し3月6日までにモモテ飛行場英語版)(ハイン飛行場)はアメリカ軍占領下となったこの間日本軍3月3日全力夜襲試みてアメリカ軍死傷305名の大損害を与えたが、夜襲中心となった独混第1連隊第2大隊大隊長以下全滅態となった。また、日本第4航空軍も、数度渡って上陸部隊攻撃補給物資空中投下行ったが、悪天候妨げられたこともあり、さしたる成果無かったモモテ飛行場連合軍の手整備されオーストラリア空軍P-40戦闘機進出した3月7日から9日にかけて、ロスネグロス島のうちゼーアドラー湾側の各地にもアメリカ軍上陸した日本第8方面軍司令部は、玉砕前提とした最後の攻撃現地部隊に行わせようとしたが、江崎大佐はこの命令無視して持久戦方針を採った。江崎大佐は、もはやロスネグロス島での抵抗は困難であると判断して残存する日本軍部隊に対して反撃準備のためマヌス島集結するよう指示した。ロスネグロス島の陸軍備蓄食料4月中旬までの分しかなかったが、マヌス島海軍部隊物資合わせれば7月上旬まで持久できると思われた。

※この「ロスネグロス島」の解説は、「アドミラルティ諸島の戦い」の解説の一部です。
「ロスネグロス島」を含む「アドミラルティ諸島の戦い」の記事については、「アドミラルティ諸島の戦い」の概要を参照ください。

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