レバノン国内での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 09:45 UTC 版)
「チャールズ・マリク」の記事における「レバノン国内での活動」の解説
一方、マリクはレバノンの閣僚にも任命されていた。1956年と1957年には国民教育・芸術担当大臣、1956年から1958年までは外務大臣を務めた。閣僚時代の1957年には国民議会議員に選出され、3年間務めた。 1975年にレバノン内戦が勃発すると、マリクはキリスト教の大義を守るために、「レバノンの自由と人間のための戦線」(後の「レバノン戦線(英語版)」)の設立に協力した。ファランヘ党創設者のピエール・ジェマイエル(英語版)や、元大統領で国民自由党(英語版)のリーダーであるカミール・シャムーンら、レバノン戦線のトップリーダーの中で、ギリシャ正教の信徒であるマリクは唯一の非マロン派であった。レバノン戦線において、マリクは頭脳であり、他の政治家は腕力であると広く評価されていた。 マリクは神学者としても知られており、東方正教会、ローマ・カトリック、福音派など、宗派を超えて支持されていた。マリクは、聖書や初期の教父たちの著作に関する数多くの注釈書を執筆した。マリクは、当時の正統派神学者の中では数少ない、福音派界でも広く知られた神学者だった。福音派のリーダーであるビル・ブライトはマリクを高く評価し、その文章を引用した。1967年から1971年まで世界キリスト教教育協議会会長、1966年から1972年まで聖書協会世界連盟副会長を務めた。 マリクは、同じレバノンの外交官で哲学者のカリム・アズクール(英語版)との共同研究でも有名である。ポストコロニアル理論の創始者のエドワード・サイードとは姻族関係にある。 1948年12月の国連の会議で、マリクはレバノンについて次のように述べている。 わが国の何世紀にもわたる歴史は、まさに思想と良心の真の自由を維持し強化するためにあらゆる困難に立ち向かった小国の歴史である。数え切れないほどの迫害された少数民族が、時代を超えて、最も理解のある避難場所を我が国に見出してきた。我々の存在の根幹は、意見や信念の違いを完全に尊重することである。
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