ルーマニア軍の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 08:08 UTC 版)
11月19日午前8時50分、ソビエト赤軍第21軍、第65軍、第5戦車軍による、ルーマニア第3軍への攻撃が開始された。しかし、ソビエト赤軍による重厚な砲撃は、ソビエト装甲部隊が地雷敷設区域と地形を抜けて進撃することを難しくしており、最初の2回の攻撃をルーマニア軍はからくも撃退した。しかし、ルーマニア軍は対戦車砲の不足で、ソビエト赤軍を塞き止めることができなかった。ソビエト第4戦車軍団、及び第3親衛騎兵軍団による進撃は正午までに確立された。その後まもなく、ソビエト第5戦車軍はルーマニア第2軍団の撃破に成功、その後に第8騎兵軍団が続いた。ソビエト装甲部隊は濃霧の中、コンパスを頼りに進んでいたため、ルーマニア軍、ドイツ軍の砲兵陣地を越えて進んでいたが、ルーマニア3個師団が混乱を起こし、退却を開始していた。そして、ルーマニア第3軍の東西にソビエト赤軍が展開していた。ソビエト赤軍の攻撃のニュースを受けた後、第6軍司令部はスターリングラードでの戦いに従事していたが、向かうことが可能であった第16、第24装甲師団にルーマニア軍を支援、陣地を再構築するよう命令することはなかった。その代わりに、XLVIII装甲軍団が防衛を行うこととなった。 深刻な兵員不足、装備も不十分であった中、XLVIII装甲軍団はソビエト装甲部隊と戦うために、最新戦車約100両をなんとか装備していた。さらには、燃料不足も生じており、戦車が不足な分、その乗員は歩兵中隊を組織するようになっていた。そして、XLVIII装甲軍団所属の第22装甲師団は30両未満の戦車しか存在しなかったが、この戦いで殲滅された。ドイツXLVIII装甲軍団に所属していたルーマニア第1装甲師団は、ドイツの司令部との連絡を失った後、ソビエト第26戦車軍団と戦い、11月20日までに撃破された。ソビエト赤軍は南に進撃し続けたため、多くの戦車が悪化する吹雪の中、覗き孔が凍りつくなど進撃には困難が伴った。そのため、ソビエト戦車が急な動きを行ったり、不整地を走ったため、タンクデサントとして搭乗していた兵士が振り落とされて骨折することも珍しくなかった。しかし、この激しい吹雪はドイツ軍の行動をも制限した。 ルーマニア第3軍は11月19日末にはすでに崩壊していた。ソビエト赤軍第21軍と第5戦車軍はルーマニア3個師団、約27,000名を捕虜とし、さらに南へ進撃した。ソビエト騎兵部隊は進撃して、ソビエト赤軍側面へ反撃を仕掛けていたイタリア第8軍とルーマニア第3軍を分断した。ソビエト空軍が退却するルーマニア将兵を地上掃射する間、ドイツ空軍は余りにも小さい反撃を行った。ドイツ第376歩兵師団の側面に配置されていたルーマニア第1騎兵師団の撤退したため、ソビエト第65軍が広範囲に展開、ドイツ軍の防衛線を縦横することとなりドイツ防衛線崩壊の危機を招いた。ドイツ軍は11月19日遅くに反撃を行い始めたが、すでに別のソビエト赤軍部隊が第6軍の南部への攻撃を開始しつつあった。
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