ルーマニア軍のティサ川渡河
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:30 UTC 版)
「ハンガリー・ルーマニア戦争」の記事における「ルーマニア軍のティサ川渡河」の解説
ハンガリー軍の攻撃を撃退した後、連合国理事会の反対にもかかわらず、ルーマニア軍はティサ川を越えてソビエト・ハンガリーに最後の一撃を加える計画を始めた。彼らは第7歩兵師団をベッサラビア戦線から呼び返し、また第2歩兵師団と幾つかの小部隊も送り込んだ。ティサ川渡河作戦ではルーマニア軍は歩兵84,000からなる119個大隊、火砲99門、騎兵12,000の60個大隊を準備した。7月27日から29日にかけてルーマニア軍はハンガリー軍の配置を探るために小規模攻撃をかけている。彼らは最終的にフェジヴェルネク近辺から渡河すると決定した。29日から30日にかけての夜に他の地点で集中砲撃による陽動作戦を行い、主力はフェジヴェルネクから川を渡った。フェジヴェルネクからの渡河は不意打ちとなり、31日にハンガリー軍はティサ川の防衛線を放棄してブダペストへ向け撤退した。
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