ティサ川渡河
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:58 UTC 版)
10月10日までに、マリノフスキーはティサ川西岸でいくつかの橋頭堡を確保、ソビエト赤軍第46軍、第18戦車軍団はケチケメート(ブダペストから70km)に向かって進撃していた。しかしマリノフスキーはプリーエフ集団の進撃をティサ川の向こう側で支えるためにこれらの部隊の一部を再配置せざるを得なかった。結局、先遣部隊以外の第2ウクライナ方面軍の部隊はハンガリー騎兵隊とドイツ対空部隊の反撃を受け、10月11日、ティサへ退却することを余儀なくされた。同日、第2ウクライナ方面軍所属の第243狙撃兵師団によるミンゼント(Mindszent)橋頭堡への攻撃に対して、ルーマニア第VII軍団が橋頭堡の防衛のために派遣されたため、ハンガリー第1装甲師団、第23歩兵師団により反撃が行われた。 その後、ルーマニア第2、第4歩兵師団はソルノク(Szolnok)より下流のティサ川において第2ウクライナ方面軍の橋頭堡の排除に成功した。ソビエト第4師団の橋頭堡はハンガリー第1騎兵、第1歩兵師団により10月19日、攻撃を受け、さらにドイツ第24装甲師団、第4SS装甲師団、第503SS重戦車大隊が右側面を攻撃、ソビエト第4師団は支えきれなくなっていた。ルーマニア第4師団の右側面は押し戻されつつあったため、ドイツ装甲部隊は師団の後ろへ回った。そしてその後、ティサ川から分断、10月20日に降伏を余儀なくさせた。10月25日、ハンガリーの3個師団(第1騎兵師団、第1歩兵師団、第20歩兵師団)は橋頭堡においてルーマニア第2師団を攻撃した。ルーマニア第2師団はこの攻撃を受け、混乱を起こし、ティサ川を渡河して退却した。しかし、10月26日から29日にかけて3度目のハンガリー軍による攻撃がルーマニア第19歩兵師団が確保したティサアルパール(Tiszaalpár)橋頭堡に対して行われたとき、ハンガリー軍の成功は繰り返されなかった。
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