リング復帰と王座返り咲き
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「ジョージ・フォアマン」の記事における「リング復帰と王座返り咲き」の解説
引退後はヒューストンの自宅近くに教会と「ジョージ・フォアマン・ユースセンター」を開設。しかし、施設維持費のほか、4度の離婚の慰謝料・12人の子供の養育費、雇っていた会計士の横領事件などによって資金難となり、10年ぶりに現役復帰を決意する。1987年3月9日、スチーブ・ゾースキーを4RKOし復帰戦を飾る。 現役復帰を発表した時は、10年のブランクに加え、体型も明らかに肥満していたため、多くの人々は「正気か」と嘲笑したが、復帰後24連勝してヘビー級タイトル戦線に再浮上する(マイク・タイソンとの対決も期待されたが実現せず)。1991年4月19日、'The Battle of Ages'(世代の対決)と題された一戦でイベンダー・ホリフィールドの持つWBA・WBC・IBF世界ヘビー級王座に挑戦。14歳年下の王者を相手に激しい打ち合いを展開し、判定負けするも多くの人々を驚かせた。 1993年6月7日、トミー・モリソンと空位だったWBO世界ヘビー級王座を争うが、大差の判定負け。その後1年以上ブランクが続き、引退も囁かれる。 1994年11月5日、WBA・IBF世界ヘビー級王者マイケル・モーラーに逆指名され、復帰後3度目のタイトルマッチに臨む。劣勢の中で10Rに逆転の右ストレートでモーラーをKOし、20年ぶりにヘビー級タイトルへの返り咲きを果たした。45歳9カ月での戴冠はボブ・フィッシモンズ(ライトヘビー級)の40歳3カ月を上回る最年長王座獲得記録となった(2011年にバーナード・ホプキンス(ライトヘビー級)が46歳4カ月で更新)。 1995年3月、WBAから指名されたトニー・タッカーとの対戦を拒否し、WBAタイトルを剥奪される。同年4月、アクセル・シュルツを破り、IBF王座防衛とともにWBU世界ヘビー級タイトルを獲得。同年7月、IBFから指令されたシュルツとの再戦を拒否し、IBFタイトルも剥奪される。 1996年11月3日、東京ベイNKホールでクロウフォード・グリムスリーと対戦し(JBC非公認試合・日本IBF協力)、WBU王座防衛とともにIBA世界ヘビー級タイトルを獲得(その後、IBAタイトルを返上)。1997年4月26日、ルー・サバレーセを破りWBU王座を防衛するがこれも返上する。 1997年11月22日、WBC世界ヘビー級王者レノックス・ルイスへの挑戦権をかけてシャノン・ブリッグスと対戦し、12R判定負け。以後、リングから遠ざかるが、正式な引退表明はしていない。 現在はテキサス州のヒューストンにあるキリスト教会、THE CHURCH OF THE LORD JESUS CHRISTで牧師をしており、また、自らの名を冠したバーベキューグリル「ジョージ・フォアマン・グリル (George Foreman Grill) 」をヒットさせ、TVドラマやCMに出演するなど、ビジネスでも成功を収めている。
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