リドルフィ陰謀事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 09:10 UTC 版)
「トマス・ハワード (第4代ノーフォーク公)」の記事における「リドルフィ陰謀事件」の解説
北部諸侯の乱鎮圧に激怒したローマ教皇は1570年2月にエリザベスを「王位僭称者、悪魔の召使」と認定し破門した。 1571年1月には教皇に忠実なフィレンツェの銀行家ロベルト・ディ・リドルフィ(英語版)がイングランドへやって来てメアリーと接触した。メアリーはリドルフィを仲介役にスペイン王やローマ教皇の援助を取り付けて、自分が王位に就くことを期待するようになり、ノーフォーク公にもその計画を伝えた。リドルフィは3月にもノーフォーク公の下を訪れ、スペイン王やローマ教皇に援助を求める手紙を書くよう迫ったが、ノーフォーク公はこれを拒否している。だがリドルフィは自分で手紙を書いてスペイン大使館に提出し、「ノーフォーク公は署名をしなかったが、趣旨には賛同している」旨を報告した。そしてリドルフィはメアリーとノーフォーク公の使者としてスペインへ向かった。リドルフィの報告を受けたスペイン王フェリペ2世もイングランド侵攻に前向きになった。 だが、リドルフィとスペインの動きはセシルやフランシス・ウォルシンガムらエリザベス近臣たちに逐一掴まれていた。彼らは関係者に対して行った拷問や通報などからノーフォーク公の関与を確信した。1571年9月7日にノーフォーク公は逮捕され、厳しい取り調べを受けた。その中でノーフォーク公は自分はリドルフィの活動に関与していないことを主張した。そのうえでノーフォーク公は次のような上奏文を書いて女王の慈悲を乞うた。 私は我が身を振り返り、素晴らしき陛下の臣下としての義務をなんと大きく逸脱したことかと恥じ入っております。陛下の御慈悲を期待したり、望む立場にないと痛感しております。私は御慈悲に値しない人間であります。しかし陛下が慈愛にあふれ哀れみ深い方であられ、御即位以来、御繁栄がいや増す治世において、御慈悲をふんだんに下されてきたのを鑑み、後悔と悲しみに満ちる胸を抱えながらも、意を決して震える手で筆を持ち、つまらぬ我が身を低くし、服従を誓います。こうする以外に私の心が安らぐ道はありません。我が罪、我が不服従をお赦しくださいますよう。聖書にはこう書かれています。扉を叩け、されば開かれん。陛下の足元に膝まづき、我が身、我が子、我が持つ全てを投げ出しひれ伏し、陛下の高貴な御慈悲におすがりいたします。
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